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2、30年の時空を超えて両替

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 父が数年前から「昔の古いピン札があるので、両替したい」と何度も持ちかけられ、面倒くさいから「あなたがずーっと大切に持っていなさい!」と応じなかったのですが・・・最近、お小遣いが足りなくて困っているのか、言われる回数が増えたので、重たい腰を上げて現行のお金と取り替えてあげることに。



 さっと数えたら、9千円分。5千円硬貨2枚もあったので、1万9千円。
 「このピン札どうしましたか?」と聞くと、昭和50年代後半だったと思う。自分の営む店に「今、カネに困っているので、現行のお札に取り替えてくれないか」とお得意さんから頼まれたので、伊藤博文さんの千円札と取り替えてあげた、とのこと。30年以上も父が大切に持っていて、父が今カネに困っているので、私に両替を迫られ、福沢諭吉さん、野口英世さんの紙幣を渡しました。今度は私がとっておくことになりましたが、使いたくてもピン札だからもったいない。現在も流用できる紙幣とはいえ、平成世代の若い店員さんだったら、おもちゃの紙幣だと間違われてしまう。式根島を旅し、レジ係は高校生のバイトさんでした。2千円札を渡すと、「2千円札ってあります??」と後ろの厨房にいた人たちに確認。「2千円札!?ありますよー!!」北海道の日高本線沿線にある静内での中華料理店。やはり若い女性でした。紙幣を渡すと、奥へ引っ込んでしまいました。たぶん、これは使えるんですか?と確認するためかなと思います・・・。どちらも、内心、「あのー、私が偽札を使おうとするつもりはないってば!!」と思ったのは確かです。
 れっきとした「日本銀行券」、すかしも入っているので、偽造品ではないのは確かです。平成元年から平成8、9年くらいまでは千円札は夏目漱石さんだと知っている世代。平成10年以降だと、物心ついたときに野口英世さんに変わっているので、沖縄を除く本土内で滅多に通用しない2千円札の存在を知らないのは無理もない話かと思います。

 さらに・・・これも!!100円、500円の記念硬貨だらけですっ!!コインに銘打ってある金額通りに両替。1万3千円分はありました。
 「こんなにたくさん集めていたんですか!?」と聞くと、昔のことなので覚えていないと。
 鑑定してみたところ、傷がたくさんついていて、新品ではなく、すでに通流品。
 「自営業をやっていたときのお客さんから記念硬貨を受け取り、次のお客さんのおつりとして渡さず、大切にとっておいたから貯まったんじゃないの?」と確認してみました。
 「確かにその通りだったかも知れない」自分が店員だったら、変わっている記念硬貨を釣り銭としてお客さんに渡しても喜ばれないと思う。500円として価値はあるので、違う店舗などで使ってしまえばいいのに、日本人は記念硬貨が財布に入っているととっておく傾向が多い。
 つくば万博の記念硬貨が出てきたとき、昔の思い出がフラッシュバックのように蘇ってしまいました。(フラッシュバックとは、強いトラウマ体験(心的外傷)を受けた場合に、後に なってその記憶が、突然かつ非常に鮮明に思い出すという、ネガディブなイメージですが、ここではよい面でのフラッシュバック)

 1985(昭和60)年の自分から2001(昭和76)年の自分あてへの、科学万博郵便局引き受けの「ポストカプセル郵便」。

 子どものころなので、文章の間違いや誤字だらけです・・・。31年前の郵政省は、2001年頃は電気通信メディアが発達しても郵便(手紙)の利用が減らないように手紙の魅力を宣伝するための企画だったそうです。
 電気通信メディアと子どものときに書き写したものだけど、電話とファックスしかない時代なので、これはどういう意味なのか全く理解できていませんでした。現在のようなスマホやEメール、しかも、LINEの「ビデオ」機能を使えば、世界のどこにいようかネットさえあれば無料でお互いの顔を見ながら、会話ができる。わざわざお互い顔を見なくても「トーク」(電話)で通話料金に気にせず、会話可能。電話で連絡するほどでもないなと思ったら、文字チャットもできる。当時の郵政省は未来の通信状況はこうなると予想が見事に的中しています。2枚目以降も学校の話や、算数が苦手なので、16年後の自分にこの手紙が届いたらこの問題の答えを教えて欲しい。とドリルの切り抜きも同封。(過去の世界に戻って、当時の自分に会いに行って欲しいという意味だと思う。2001年はすでにタイムマシンが普及している頃なので、過去の世界へ行くことはちょろいものかと思っていたかも)
 1985年はきれいな海があって、山もあります。2001年は都会になり、空気も汚れているでしょう。山陰本線も本数が増え、103系(※)走っていますか?あの~、今も、タイムマシンがあれば、1985年の自分に会いに行けるなら、この手紙を持っていきたい。
 (※)103系  1985年当時の山手線は国電の萌黄色。ステンレス製の萌黄色帯の205系が出る前の話。
    205系  1985年~2005年
    E231系 2002年~ 現在も走行中
    E233系 2016年~ 2015年11月30日初デビューしたが、本格的な運用は2016年3月から

 「やあ、今から30年後の、2016年の世界から来ました。未来の家で整理していたら、この手紙が出ていたから、伝えに行きました。
 算数のドリルだけど、今、分数の計算とか、普段、使っていなくて、今はもうおじさんだから、わかりません。頭が柔らかいのは20代までだから、20代までにいろんなことに挑戦して、やり遂げる能力を持ってほしい。
  30年後の山陰本線は、30年前と全然変わりません。103系なんて、とんでもないです。キハ40、47ばかりです。DD51機関車は、1985年の7年後、1992年に消滅しました。さらに人口が急激に減り、都会になるところが、空き家がたくさん出て、さびしいところになります。だから、長門二見駅も無人駅になり、山陰本線の本数も減り、時刻表もスカスカになります」

 未来の自分への封筒に入っていた切手。昭和11年、12年、13年の年賀切手。子どものくせにどうやって集めたんでしょうかねぇ??謎だらけ。

 100円タンチョウツルは1963(昭和38)年7月25日発行 山口下関大和町 昭和40年の消印
  40円日光東照宮は  1962(昭和37)年5月10日発行 山口下関大和町 昭和40年の消印
 100円鵜飼は     1953(昭和28)年9月15日発行 福岡中央 昭和37年の消印
  60円国土緑化運動は 1982(昭和57)年5月22日発行 山口・豊浦 の消印(当時住んでいた地域の郵便局)
  10円は 00がついているので、銭単位がまだ使われていた頃の、1951(昭和26)年12月10日発行。

  50円、1円とともに 1952(昭和27)年発行。
  はい、子どもながらのお宝を今、受け取りました。たぶん、祖母の家に届いた古い郵便物を整理するときに切手部分だけ剥がして集めていたかも知れない。

 父からの手紙です。昭和がまだ続いていれば、75年。(2001年は昭和76年のはずですが・・・)
 母、伯母からの手紙も時空を超えて、16年後の2001年に配達。さらに、15年経過した今も大切に保管しているので、もう31年前になります。
 今は亡き祖母からの手紙も、このお手紙が届くころは、あなたは立派な青年に、私も生きていればいいですが、もう無理でしょう・・・16年後はどんな人間になっているでしょうかといろいろと想像した話で綴られていました。残念ながら手紙が届く2年前に老衰で逝去。
 
 我が家に届いた、ポストカプセル郵便はあまり大したことはありませんが、この本は・・・

 他人事だと思えないほど、感動するようなお話しが盛りだくさんです。15年前の本ですが、今でも図書館で普通に借りられました。
 つくば万博の記念硬貨を見つけただけで、遠い昔の思い出が蘇ってしまいました。

 昔集めたものが死蔵中。国鉄時代のオレンジカードばかり。青ヶ島のテレホンカードは1999(平成11)年に村役場でお土産用として販売していました。当時は旧堤のみで、今のような新堤はありません。

 さらにこんなものも・・・。大切にとっておいても、使い道はない。「江戸っ子は宵越しの銭は持たぬ」という言葉があるとおり、そういう変な硬貨をいつまでもとっておくことはせず、使ってしまったほうがよろしい。、と私は思います。

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