昨日、アンテナ修理。当初は交換するつもりで依頼したのに、「まだまだ使えるのに交換なんてもったいない」と既存のアンテナのままで方向調整して、台風で微妙な向きを変えてしまわないようにワイヤーでしっかり固定。使わなくなったVHFアンテナなBSも撤去してくれたので見た目すっきり。BS放送はほとんど字幕が付かないので、視聴しない理由のひとつなのかも知れない。
山口県の何もない田舎に住んでいたころはアナログ放送時代。難視聴エリアなので、屋根の上にアンテナは設置せず、共聴設備からのケーブルを各戸に引き、組合に使用料を支払っていました。海岸に大きなアンテナを設置していたため、対岸の電波が混信し、ハングル文字が映るゴースト現象とか、しょっちゅうありました。地上デジタル化になっても、各戸にアンテナを設置していないので、引き継ぎ、共聴設備からだと思います。
青ヶ島村も、光ファーバー整備しているので、地上デジタル放送も受信施設ではなく、ケーブルで結ばれているかも知れない?2年前、青ヶ島へ旅したときは、地上デジタルでもくっきりきれいに映し出せ、字幕も出せました。初めて青ヶ島に行ったときの1999年当時は、すべてのチャンネルが映るというわけではなく、たまにノイズが入って画像が乱れたり・・・辛うじて視聴できる程度でした。アナログ時代からかならずあったものは、空きチャンネルに三宝港のライブカメラに村役場からのお知らせが流れる字幕で表示。地上デジタルに変わっても、三宝港のライブカメラは常時中継。たぶん、島民の皆さんは朝起きたときに、三宝港のライブカメラにチャンネルを合わせ、波の具合をチェックし、今日は船が来る、来ないかと判断。7時過ぎに村役場からの就航または欠航のお知らせ放送。船が来るとわかっていれば、12時半までに入港準備スタンバイ。半世紀前だと、船は年に数回程度。船が来る日だと、学校も臨時休校。船着き場(当時)で入荷作業のお手伝い。まるで大きなイベントでした。今の時代、港の入港作業に携わるのは村役場の事業課職員。職員だけでは人手が足りないので、役場からの受託者もお仕事。特に欠航続き明けだと、多量の荷物が運ばれてくるので、その場に居合わせた村民たちも団結し、仕分けしながら運搬。
テレビのアンテナの話だというのに、途中から青ヶ島に脱線・・・。とにかく、昔も今も変わらずみんなで力を合わせるという風習が素晴らしいです。
5月 4日の船は、欠航になりそうです。(西から低気圧が接近するのは前に出した予想とおり)
5月 5日は 芝浦
5月 6日は ○ 就航。
山口県の何もない田舎に住んでいたころはアナログ放送時代。難視聴エリアなので、屋根の上にアンテナは設置せず、共聴設備からのケーブルを各戸に引き、組合に使用料を支払っていました。海岸に大きなアンテナを設置していたため、対岸の電波が混信し、ハングル文字が映るゴースト現象とか、しょっちゅうありました。地上デジタル化になっても、各戸にアンテナを設置していないので、引き継ぎ、共聴設備からだと思います。
青ヶ島村も、光ファーバー整備しているので、地上デジタル放送も受信施設ではなく、ケーブルで結ばれているかも知れない?2年前、青ヶ島へ旅したときは、地上デジタルでもくっきりきれいに映し出せ、字幕も出せました。初めて青ヶ島に行ったときの1999年当時は、すべてのチャンネルが映るというわけではなく、たまにノイズが入って画像が乱れたり・・・辛うじて視聴できる程度でした。アナログ時代からかならずあったものは、空きチャンネルに三宝港のライブカメラに村役場からのお知らせが流れる字幕で表示。地上デジタルに変わっても、三宝港のライブカメラは常時中継。たぶん、島民の皆さんは朝起きたときに、三宝港のライブカメラにチャンネルを合わせ、波の具合をチェックし、今日は船が来る、来ないかと判断。7時過ぎに村役場からの就航または欠航のお知らせ放送。船が来るとわかっていれば、12時半までに入港準備スタンバイ。半世紀前だと、船は年に数回程度。船が来る日だと、学校も臨時休校。船着き場(当時)で入荷作業のお手伝い。まるで大きなイベントでした。今の時代、港の入港作業に携わるのは村役場の事業課職員。職員だけでは人手が足りないので、役場からの受託者もお仕事。特に欠航続き明けだと、多量の荷物が運ばれてくるので、その場に居合わせた村民たちも団結し、仕分けしながら運搬。
テレビのアンテナの話だというのに、途中から青ヶ島に脱線・・・。とにかく、昔も今も変わらずみんなで力を合わせるという風習が素晴らしいです。
5月 4日の船は、欠航になりそうです。(西から低気圧が接近するのは前に出した予想とおり)
5月 5日は 芝浦
5月 6日は ○ 就航。