Quantcast
Channel: 東京アイランド
Viewing all articles
Browse latest Browse all 6808

DE10機関車

$
0
0
 2018(平成30)年の旅行がまだまだ終わらないうちに新しい時代の令和元年を迎えてしまいました。特に昨年の今頃実行した、枕崎から稚内ゆきは話題は多すぎるため、連載終了は来年あたりか!?
 パソコンの漢字変換は4月1日に発表された直後、マイクロソフトさんが未来を予測しているかようで一発で変換ができたのに、スマホはまだまだ。最初に文字を見たときの印象、命令と和解を入力してそれぞれ1文字を削除していたが、やはり手間がかかって大変。スマホに辞書登録があるので、それを利用すると一発で変換ができます。
 字を書くときに、菅官房長官が揚げた額縁の文字とは違う。私が書いたのは「、」に「マ」。額縁の文字は「ア」。「ア」の書き方が正しいのかと調べてみたら、マは筆記の楷書体でアは印刷物などで使われる明朝体でどちらも使って良い、とのこと。
 せめて改元時はすかすかしい初夏の雰囲気だったらよかったのに、全国的に雨や曇りが多い両日でした。11時頃、リアルタイムで天皇陛下のお言葉をテレビ中継。音声だけではなく、字幕も表示される。ろう者でもリアルタイムで知ることができる時代になりました。30年前は情報格差が大きかったと思います。

 ここから旅行記になります。


 今から3世代前の昭和時代。終戦後も、全国各地に戦前からの蒸気機関車(SL)が走っていましたが、昭和30年代に入ると戦後高度経済成長期に入りました。無煙化を図るため、動力をディーゼル機関車にチェンジ。ついに1975(昭和50)年、山陰本線からD51が消え、DD51ディーゼル機関車デビュー。上野から札幌まで走っていた寝台特急の函館から札幌まで特急らしく馬力を2倍にするため2機で牽引していたのもDD51。これも平成の最後あたりまで活躍していましたが、2016(平成28)年、北海道新幹線が開通する前に廃止。
 DE10も、ボンネットが長いDD51よりは短めに設計され、主に構内の入れ替え作業用として開発。実際は旅客用として牽引する区間もあった。DD51は平成のうちに消滅してしまいましたが、こちらは今の時代になってもバリバリ現役で活躍中。大正時代の生き残りは、JR九州・SLひとよし号の58654号機、1922(大正11)年製造。2022(令和4)年で100歳になります。1975(昭和50)年3月31日付で廃車されましたが、1987(昭和62)年、国鉄が解体し、九州旅客鉄道会社線発足。当時の社長が「1989年の門司港開港100年と九州鉄道100年の記念イベントとして蒸気機関車を復活させよう」と保存状態がとてもよかった、58654号機を復活。小倉工場で大掛かりな修復工事が行われ、1988(昭和63)年から豊肥本線のあそBOYとして活躍。ところが・・・2005(平成17)年。老朽化が進み、相次ぐ故障。58654号機だけではパワー不足なので、補助としてディーゼル機関車を連結。これ以上老体にムチを打つのは厳しいと判断したのか、動態保存のまましばらく休止扱い。奇跡的にも日立製作所に製造時の図面があることが判明したため、その図面を元に製鉄所にボイラーを復元。機体は大正11年製造された当時のままだけど、ボイラーは新品。新しい動力と古い機体を組み合わせたザイボーグの状態。でも、石炭を燃やして、動力を発生しているので、大正時代そのものと変わらない。
 大正→昭和→平成→令和の4世代だけど、もっとすごいのは新しい時代を迎えても、明治の終わり頃に生まれた方々が御存命。明治45年(大正元年)は1912年。単純に計算しても、107歳の方で明治から5つの元号を持つことになる。そのこともテレビやネットで話題になりました。




Viewing all articles
Browse latest Browse all 6808

Trending Articles