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亀嵩驛(続き)

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 10月6日。今日もあつ~い1日でした。例年なら、秋らしくひんやりとした空気になるのに、最近は猛暑続き。7月になっても長袖を羽織りたくなるほど肌寒い日もあったし、季節がちょっとおかしくなっているようです。
 職場でも今日もクーラーが入りました。今日も長袖の人はあんまりいませんでした。やはりクールビズは10月31日までにすべきでは??

 亀嵩驛前の道路。周囲は民家が建ち並んでいて、新しく家が建ったりして、秘境駅ではないようです。

 奥出雲交通の路線バス。どうみてもワゴン。大型バスだと、乗客は数名程度だと空気を運んでいるようなものなので、バスといっても10人乗りのワゴンで運用。亀嵩驛前の蕎麦屋専用駐車場も完備。ぜひ、JR木次線で召し上がりにいらっしゃてくださいませ~!!

 蕎麦屋の出入り口にあった、ステッカー。このマークは、山口県の何もない小さな漁村で両親が理美容を営んでいたときに、店内にこのマークがついていたのはおぼろけながら覚えている。じゃあ、もともとは蕎麦屋ではなく、理容店??と思い、ネットでいろいろ調べたところ、亀嵩驛に理容店という話題はなかった。最初から蕎麦屋。

 このSマークは、清潔・安全・安心マークで、理美容店だけではなく、クリーニング、麺類飲食店、一般飲食店でも適用。なるほど、ずーっと昔、両親が営業していた頃のマークを目にしているので、理美容店だけのマークかと思っていた。飲食店でもそのマークがあるとはいえ、あんまり見かけず。

 驛舎の待合室にあった自衛官募集相談員の札。「私、自衛官を志願して、小笠原・硫黄島での駐在隊員になりたいですっ!!」と言えば相談にのってくれるかどうか不明ですが・・・。硫黄島は太平洋戦争中、日米軍合わせて2万人が戦死。硫黄島は1968(昭和43)年6月26日、日本に返還。本土復帰するとともに硫黄島も東京都小笠原村に属するようになった。立派な滑走路も備えている自衛隊の硫黄島航空基地あり。400名の自衛隊が交代しながら駐屯している。就寝前に1杯のコップを英霊に捧げてからでないと、兵士さんが現れることもあるようです。

 木次線も100年。キハ120も国鉄らしさ雰囲気を出そうと首都圏色(朱色5号のみのタラコ色)でラッピングしたものも運行。ここは中国地方なのに、朱色のディーゼルカーを「首都圏色」と呼ばれるのは不思議なんですが、国鉄時代。国鉄が赤字になり、ディーゼルカーのカラーリングを簡素な朱色5号のみにしようと相模線、八高線、久留里線、木原線など、非電化区間の車両が順次塗り替えられたのがきっかけ。それで北海道から九州までディーゼルカーは朱色5号の首都圏色オンリーに。
 1987年、国鉄解体。JRに引き継ぐと、JR各社ごとのカラーリングに変更されましたが、JR西日本の本社は大阪なので、ディーゼルカーの塗色にカネをかけたくないのか、最近は国鉄色に戻している線区拡張中。わが山口県の何もない山陰本線も最近はほとんど首都圏色に変更されています。

 少し前までは、古めかしい筆記体で「かめだけ」の縦型駅名票があったのに、取り外されていますね・・・。

 丸太に焦がしたあとがたくさんあるのは何ででしょうかねぇ??焦がしたほうが腐らないからでしょうか。
 汽車を待っていたら、首都圏色ではなく、木次線カラーのキハ120 4がやってきました。残念。2両編成で、お客さんが乗っているのは前だけ。後ろは回送扱い。秘境路線だというのに、座席が全部埋まるほど満席。だったら、後ろの車両も回送扱いにせず解放すればいいのに~!!

 12時49分、出雲横田駅到着。20分間の停車なので、車両の切り離し。切り離された車両は12時59分、宍道に向けて発車。どこから工面するのかと考えてみれば、備後落合行きに連結して、途中で切り離し。運転士さんも同乗。あくまでも運転士なので、車掌さんのように検札や集札業務はなし。次の記事は出雲横田駅です。

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