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Channel: 東京アイランド
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この赤いお花は、青ヶ島の夏を告げる「かんな」

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 このお花、ハイビスカスかなと思いましたが、違うようです・・・と記事をアップしたところ、「このお花はカンナと言います」とのことです。毎年、毎年、夏の始まりだよ~と告げてくれるかように咲いてくれる、とのことでした。
 7月5日は就航するという私の予想とおり、新堤では釣りができるほど凪いでいたのに、なぜか欠航。船長さんや船員さんは人の子。日曜日くらいは海上状況不良を理由に休みたいと思っていたかも知れません。ネットがあまり普及していない還住丸時代だと、港が凪いでいるのにしょっちゅう欠航~っ!!ということもあり、村役場が船会社に港が凪いでいるときは可能な限り就航すること!と要請したこともあったような。
 日本の最果て、秘境の青ヶ島村だというのに、本土と変わらない携帯電話3社の次世代高速携帯通信規格、高速インターネットのブロードバンド導入。パソコンを持っていれば、気象庁などの天気予報も瞬時にキャッチ。島民の皆さんもある程度「予想」はできているはずなので、凪いでいるのに船が来ないとなると、ブーイングになってしまいます。
 50年前の通信手段は・・・年に4、5回に来る船に積まれる郵便物。艀作業でまっさきに下ろされるのは、手紙やハガキの入っている郵袋。その場で手紙の返事を書かないと次は3、4ケ月後になってしまう。その場で返事をしたため、沖合に停泊中の大型船に託す。
 当時、電話回線はありましたが、役場、郵便局のみ。青ヶ島に電話しても、即座に本人が出るわけではないので、青ヶ島の人と連絡を取りたければ、もっぱら郵便のみ。青ヶ島から電話したいときは、郵便局の公衆電話からかけるわけですが・・・電話料金が国際電話みたいにものすごく高いので、長電話はできない。昭和50年に入り、各家庭に有線が入り、村役場の電話交換手を介しての通話。青ヶ島に電話をすると、役場の交換手につながり、「○○○○さん、お願いします」と伝えます。交換手が回線を○○さんの家につながるように接続・・・というややこしいやり方。今のようにダイレクトに自動通話ができるようになったのは1983(昭和58)年から。今はメールで島民の方と即座に連絡のやりとりができるのに、その頃は絶対に無理でした。
 今日は貨物便なので、生鮮食品の積み込みはないだろうと思っていましたが、商店ではモノがあふれていたとのことです。よかったです。私も胸をなでおろしました。明日も微妙な感じですが、出来る限り、就航できるように祈っています。
 今のところ、まだ肌寒くって、「夏」という感じは全然しませんが、早く台風が去り、太平洋高気圧が張り出し、本格的な夏到来を待っています。

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