Quantcast
Channel: 東京アイランド
Viewing all articles
Browse latest Browse all 6808

青ヶ島郷土資料館!?

$
0
0
 職場で、ある人。なかなか捨てられない性格なのか・・・書類やモノを段ボールに詰めて、置き場所に困るとあちこちの空いているスペースに放置。再び手に触れようとしない。そのまま忘れ去られてしまう羽目。マイクロフィルムを保管するスペースは私が管理していて、久しぶりに入室してみたら、モノが散乱していて足の踏み場がない。以前までは、利用者からリクエストがあると、瞬時にさっと取り出せたけど、今はタイトルがモノや段ボールで隠れているので、それを退かさないと出せない状態。かといっても、勝手に処分というわけではない。はぁ・・・リクエストがあるのは、頻繁ではなく、年に数回なので、こんな状態にされても困るということではないのは確かなんですが・・・。
 自分も人のことは言えませんが、我が家でも、かなりモノで溢れかえっていて、なかなか捨てられないものばっかり。例えば、本。ほとんどは図書館から借りて返しているけど、図書館では取り揃えていない本は自分で買う。青ヶ島に関するものはマメに買って永年保存。買うたびにモノが溢れかえって、広々とした部屋ではなく、モノで逼迫している状態。少しでも見た目、広くしようと整理していたら・・・

 こんなのが出てきました。一体、何のために入手したんだ!?と思ったら・・・

 これでした。青ヶ島が載っているもの。

 今も「鬼ヶ島」であることは変わりないですが・・・当時の様子を伝える文章はかなり、リアリティー。小笠原諸島はアメリカ領土なので、青ヶ島が実質的に東京都最南端だった時代もありました。

 なんと!!昭和29年。西暦にすると1954年なので、もう62年前の雑誌ですよっ!!そういう変わっている本の収集癖は凄まじい。

 またまた出てきました!!他にもたくさんあるけど、割愛します。ここを青ヶ島郷土資料館にしてもいいくらい昔を知る資料ばっかり。1959年は昭和34年。57年前の三宝港は写真とおり、港はまだできていなくて、船着き場。

 もう1つの、船着き場は北部の人が暮らしている、ヘリポートに近い神子の浦。島の地形は断崖絶壁なので、神子の浦に降りようと思っても絶対に無理。今はもう道なきになっているでしょう。

 青ヶ島における教育の革命を果たした、高津勉先生のお陰で島の子供たちは本好きになりました。1950(昭和25)年赴任なので、その4年後。つじつまは合っています。

 昭和34年当時。小中学校の生徒数83名。先生13名、全島民の人口364名。
  ↓(57年後)
 平成28年4月、小中学校の生徒数20名(?)全島民の人口158名(4月1日現在)

 昔の男の子は坊主ばかりでした。うちの父も小学生時代は、こんな格好によく似ています。昭和の男の子は坊主、女の子はオカッパが定番のようです。集合写真を見ていると、どれもおんなじヘアスタイル。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 6808

Trending Articles