3月20日16時12分、札幌駅を出発したカシオペアは函館駅で21時5分着。281系の新型特急のスーパー北斗もディーゼルの特急だけど、札幌と函館を最速で3時間40分。
ディーゼルでも最高速度130キロを出せますが、こちらのDD51は昭和時代に製造されたもので、最高速度は95キロ。1基だとパワーが足りないので、2両重連で運行。それでも5時間近くでした。急行「はまなす」号は、深夜の函館駅で時間を調整したり、そんなにスピードを要しないので、先頭のDD51は1基。函館から札幌に向かう途中に駒ヶ岳という急こう配があります。比較的ゆるやかな内浦湾沿いの渡島砂原回りと、山側の駒ヶ岳回りがあり、DD51の性能により、どちらを通るかは列車により異なるようです。
函館から札幌市内の乗車券は自動的に最短距離の駒ヶ岳回り。どうしても渡島砂原を回りたいとリクエストすると、経由欄は 函館線・池田園・東森・函館線と印字。しかし、普通列車は1日6本しかない超閑古路線ですが・・・。
DD51を懐かしむ理由は・・・
客車だった頃山陰本線 のホームページを見つけました。 こちら
この作者さんは1991(平成3)年から1992(平成4)年にかけて、山陰本線におけるDD51が撤退する前に動画で撮影。長門粟野駅、阿川駅、宇賀本郷駅とか、当時暮らしていた生活圏も収録。
今年は平成28年なので、もう四半世紀も昔になります。当時はDD51のけん引するオハ50客車で毎日のように通学。車窓から眺めていても、平行する国道ではクルマに追い抜かれることが多く、まどろっこい汽車だ!!と罵っていたこともありましたが・・・完璧に絶滅してしまった、今となっては懐かしいです。
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今年は2016年なので、来年の2017年はなんとJRは30年目っ!!6社のコーポレートカラーはもうすっかり定着。
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昔の山陰本線はとてもよかった。朝の始発は長門市を4時40分。もちろん、DD51けん引の客車。5時35分長門二見停車。汽車で遠出するのに、朝5時35分に乗ったほうが日帰りは可能。学生なので、旅館やホテルに泊まる余裕はなかった。
6時33分下関到着。DD51は引き離され、関門トンネル専用のEF30電気機関車に付け替え。下関から門司までJR九州なのに、山陰本線が乗り入れる理由は、車両の相互貸し出し清算のため。当時は鹿児島本線から山陽本線に直通し、小郡(現新山口)行きのJR九州411系が乗り入れ。ところが、現在は、JR九州が山陽本線を走行する区間が長すぎると不満が出ているのか、下関できっぱりと線引きしています。
北海道新幹線も、JR東日本のH5系が新青森から新函館北斗まで乗り入れるのが多いので、それを清算するため、JR北海道のH5系を東北新幹線内で運用するダイヤグラムあり。
もともとは日本國有鐡道。JR発足時に各社ごとの損得計算し、このようになったわけです。
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最終列車もDD51けん引の848、滝部行き。長門二見23:16なので、朝5時に出かけ、熊本を回ってでも、日帰り可能でした。
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東京を18時50分を出発した寝台特急出雲1号は途中の京都でDD51に付け替え、翌朝9時57分浜田着。その20分後に下関行きの急行「さんべ」に接続。実家のあった長門二見にはお昼頃には到着。
今も、30年前と変わらないダイヤだったら、実家へ帰るならブルートレイン出雲1号で優雅でのんびりとした汽車旅を選択していたかも知れない。現在も、寝台特急サンライズ「出雲」「瀬戸」号が運行中だが、益田から長門市間の本数が当時に比べるとものすごく減らされているので、出雲市に着いてもそのまま山陰本線で帰るのは不可能になってしまいました。
ディーゼルでも最高速度130キロを出せますが、こちらのDD51は昭和時代に製造されたもので、最高速度は95キロ。1基だとパワーが足りないので、2両重連で運行。それでも5時間近くでした。急行「はまなす」号は、深夜の函館駅で時間を調整したり、そんなにスピードを要しないので、先頭のDD51は1基。函館から札幌に向かう途中に駒ヶ岳という急こう配があります。比較的ゆるやかな内浦湾沿いの渡島砂原回りと、山側の駒ヶ岳回りがあり、DD51の性能により、どちらを通るかは列車により異なるようです。
函館から札幌市内の乗車券は自動的に最短距離の駒ヶ岳回り。どうしても渡島砂原を回りたいとリクエストすると、経由欄は 函館線・池田園・東森・函館線と印字。しかし、普通列車は1日6本しかない超閑古路線ですが・・・。
DD51を懐かしむ理由は・・・
客車だった頃山陰本線 のホームページを見つけました。 こちら
この作者さんは1991(平成3)年から1992(平成4)年にかけて、山陰本線におけるDD51が撤退する前に動画で撮影。長門粟野駅、阿川駅、宇賀本郷駅とか、当時暮らしていた生活圏も収録。
今年は平成28年なので、もう四半世紀も昔になります。当時はDD51のけん引するオハ50客車で毎日のように通学。車窓から眺めていても、平行する国道ではクルマに追い抜かれることが多く、まどろっこい汽車だ!!と罵っていたこともありましたが・・・完璧に絶滅してしまった、今となっては懐かしいです。
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今年は2016年なので、来年の2017年はなんとJRは30年目っ!!6社のコーポレートカラーはもうすっかり定着。
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昔の山陰本線はとてもよかった。朝の始発は長門市を4時40分。もちろん、DD51けん引の客車。5時35分長門二見停車。汽車で遠出するのに、朝5時35分に乗ったほうが日帰りは可能。学生なので、旅館やホテルに泊まる余裕はなかった。
6時33分下関到着。DD51は引き離され、関門トンネル専用のEF30電気機関車に付け替え。下関から門司までJR九州なのに、山陰本線が乗り入れる理由は、車両の相互貸し出し清算のため。当時は鹿児島本線から山陽本線に直通し、小郡(現新山口)行きのJR九州411系が乗り入れ。ところが、現在は、JR九州が山陽本線を走行する区間が長すぎると不満が出ているのか、下関できっぱりと線引きしています。
北海道新幹線も、JR東日本のH5系が新青森から新函館北斗まで乗り入れるのが多いので、それを清算するため、JR北海道のH5系を東北新幹線内で運用するダイヤグラムあり。
もともとは日本國有鐡道。JR発足時に各社ごとの損得計算し、このようになったわけです。
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最終列車もDD51けん引の848、滝部行き。長門二見23:16なので、朝5時に出かけ、熊本を回ってでも、日帰り可能でした。
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東京を18時50分を出発した寝台特急出雲1号は途中の京都でDD51に付け替え、翌朝9時57分浜田着。その20分後に下関行きの急行「さんべ」に接続。実家のあった長門二見にはお昼頃には到着。
今も、30年前と変わらないダイヤだったら、実家へ帰るならブルートレイン出雲1号で優雅でのんびりとした汽車旅を選択していたかも知れない。現在も、寝台特急サンライズ「出雲」「瀬戸」号が運行中だが、益田から長門市間の本数が当時に比べるとものすごく減らされているので、出雲市に着いてもそのまま山陰本線で帰るのは不可能になってしまいました。