〇〇のはなし号は「快速」なので、故郷の駅を通過してしまうのは残念だけど、また来月(10月)もここへ舞い戻る予定があります。
左から1軒目は、もともと日常雑貨や食料品を取り扱う商店、3軒目はときわ屋(二見饅頭店)、4軒目は駅前旅館、5軒目は酒屋。その中で営業中はただ1つだけ、二見饅頭の「ときわ屋」さん。昭和の初期から開業なので90年近く、伝統の味を守っています。
食べログは こちら。
「〇〇のはなし」号の前身は「みすゞ潮彩」号は1日2往復あり、快速扱いではなかったため、長門二見も停車。今から10年前の平成23年3月2日、千葉駅で購入し、9日後、東日本大震災発生。3月27日は羽田から宇部行き、空港連絡バスで下関駅に向かい、この列車にうまく接続できるはずだったのに節電を強いられているさなか、飛行機発着のやりくりなので、遅延。結局間に合わず・・・。
今度はさっきまで海を眺められた自分の座席に戻ります。海から一転し、山の景色。
二見で唯一、立派な建物は・・・・下関市立二見小学校。1875(明治8)年開校、児童の数はおよそ400名。1990(平成2)年頃、古い木造校舎を取り壊し、今の3階建ての新校舎に建て替え。
平成23(2011)年、開校135周年記念行事が行われましたが、児童数の減少にともない、平成24(2012)年度から休校。
現在は指定避難場所となっています。
しばらくすると、上り坂が続くので、昔のD51(蒸気機関車)はかなり黒煙を吐きながらピストンの力を動輪の連結棒に伝達。電気やディーゼルのエンジンを使わず、石炭の熱で動力。ディーゼル機関車のDD51も後ろの客車を引っ張りながら坂を登るので、滝部までの乗車時間は若干長め。今乗っているキハ47もノッチ(クルマで言うとアクセル)のハンドルをフルに回し、パワー全開。エンジンが唸りながらの走行。
オリジナルのキハ47は国鉄の経費削減のため、しょぼいエンジンを取り付けていましたが、馬力アップのエンジンに取り替えるなどの改造を施した車両もあります。
山口県のガードレールが黄色になっていれば、県道。国道は白といったように区別。黄色が採択されたのは、明るい色だし、萩名産の夏みかんを連想させるためだそうです。
↧
さらば長門二見。また、来月舞い戻ります
↧