まだまだ中越駅。9月に行った旅行だというのに、いつ完結を迎えるか・・・まだ未定です。自分の得意分野だと、長期連載になってしまいます。この先、季節が変わってもずっとおつきあいいただくと嬉しいです(笑)
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インターネットの百科事典、ウィキペディアによれば、
「今でも特急オホーツクの行き違いなどに使用され、そのための運転停車の際には「ただ今中越です。列車行き違いのためしばらく停車します」というように車内アナウンスで「中越」の名が放送されることがある。また、旅客案内上は客扱いを行わない信号場であるが、当信号場への保線職員の輸送のため、上川 - 白滝間を走行する普通列車が停車し、職員の乗降を行うことがある。」
3線もあるので、特急の交換に一時停車。ほとんどの乗客は廃駅とか秘境駅に興味を持っていなくて、車内放送で「ただいま、なかこしです」と言われると、どんな駅なんだ?と一斉に駅舎のほうに視線は向けるはず。立派な駅舎は残っていても・・・
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駅名票がこのようになっているので、廃駅だとすぐわかってしまうかも知れません。廃駅に特急が停まるという、ミステリーなゾーン。
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中越駅の中に入ろうと思っても、すべて念入りに施錠。1ケ所でも開いていたら、狂気沙汰のマニアが駅舎の中に侵入して、当時残された資料はないかとか漁るに決まっているので、すべて施錠したほうがよろしい。ずっと昔、山口県の美祢線、南大嶺から枝分かれし、わずか2.8キロの谷に眠る終着駅の大嶺駅。1997(平成9)年に廃線、あれからもう20年近く。廃線直後、すぐ解体というわけではなく、しばらくの間、駅舎は残されていました。クルマで山口に帰るたびに、美祢インターを降りて、日本海側に向かう途中、何度か廃駅の大嶺駅に立ち寄り。それほど大嶺駅マニアだったかも知れない。廃線1年後に立ち寄ると、駅事務室の窓ガラスが割られ、中の資料とかそっくり持っていかれたとか、荒れ放題。2年目あたりの1999(平成11)年頃、駅舎は解体し、更地となってしまいました。
中越駅の窓のところに、平成27年2月20日の新聞紙が置かれているので、まだまだ使用中であることの証。
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遠くから見ると、出札窓口跡か!?と思ったら、「やかん」でした。信号場の職員がストーブで暖を取り、「やかん」でホットコーヒーやお茶かな。
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第二次中越官設駅逓所跡。
このキーワードを検索して、ヒットしたページは、
こちら。大きな写真がついていて、私の解説より、とても詳しいです。「明治24年には囚人の過酷な労働により北見峠を越える中央道路が完成しているとあるので、鉄道が開通するまでの長い間駅逓所が大きな役割を果たしていたことでしょう。」とのことです。
写真を撮るときに、駅逓って何でしょうかねぇ?と特に気に留めていませんが、上記のホームページで情報を得ました。
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全通開通記念碑。文字はなかなか読めませんでしたが、駅舎が出来たのは1929(昭和4)年。石北本線が全線開通したのは1932(昭和7)年なので、その頃に設置したと思われます。
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忘れ去られた歴史を垣間見したとような気分です。次は、上越駅です。JR北海道も、広大な秘境(※)を旭川と網走を結ぶ特急「オホーツク」が高速走行中。
(※)上川から遠軽の間、75.9キロ。途中駅はもちろん、通過。
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インターネットの百科事典、ウィキペディアによれば、
「今でも特急オホーツクの行き違いなどに使用され、そのための運転停車の際には「ただ今中越です。列車行き違いのためしばらく停車します」というように車内アナウンスで「中越」の名が放送されることがある。また、旅客案内上は客扱いを行わない信号場であるが、当信号場への保線職員の輸送のため、上川 - 白滝間を走行する普通列車が停車し、職員の乗降を行うことがある。」
3線もあるので、特急の交換に一時停車。ほとんどの乗客は廃駅とか秘境駅に興味を持っていなくて、車内放送で「ただいま、なかこしです」と言われると、どんな駅なんだ?と一斉に駅舎のほうに視線は向けるはず。立派な駅舎は残っていても・・・
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駅名票がこのようになっているので、廃駅だとすぐわかってしまうかも知れません。廃駅に特急が停まるという、ミステリーなゾーン。
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中越駅の中に入ろうと思っても、すべて念入りに施錠。1ケ所でも開いていたら、狂気沙汰のマニアが駅舎の中に侵入して、当時残された資料はないかとか漁るに決まっているので、すべて施錠したほうがよろしい。ずっと昔、山口県の美祢線、南大嶺から枝分かれし、わずか2.8キロの谷に眠る終着駅の大嶺駅。1997(平成9)年に廃線、あれからもう20年近く。廃線直後、すぐ解体というわけではなく、しばらくの間、駅舎は残されていました。クルマで山口に帰るたびに、美祢インターを降りて、日本海側に向かう途中、何度か廃駅の大嶺駅に立ち寄り。それほど大嶺駅マニアだったかも知れない。廃線1年後に立ち寄ると、駅事務室の窓ガラスが割られ、中の資料とかそっくり持っていかれたとか、荒れ放題。2年目あたりの1999(平成11)年頃、駅舎は解体し、更地となってしまいました。
中越駅の窓のところに、平成27年2月20日の新聞紙が置かれているので、まだまだ使用中であることの証。
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遠くから見ると、出札窓口跡か!?と思ったら、「やかん」でした。信号場の職員がストーブで暖を取り、「やかん」でホットコーヒーやお茶かな。
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第二次中越官設駅逓所跡。
このキーワードを検索して、ヒットしたページは、
こちら。大きな写真がついていて、私の解説より、とても詳しいです。「明治24年には囚人の過酷な労働により北見峠を越える中央道路が完成しているとあるので、鉄道が開通するまでの長い間駅逓所が大きな役割を果たしていたことでしょう。」とのことです。
写真を撮るときに、駅逓って何でしょうかねぇ?と特に気に留めていませんが、上記のホームページで情報を得ました。
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全通開通記念碑。文字はなかなか読めませんでしたが、駅舎が出来たのは1929(昭和4)年。石北本線が全線開通したのは1932(昭和7)年なので、その頃に設置したと思われます。
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忘れ去られた歴史を垣間見したとような気分です。次は、上越駅です。JR北海道も、広大な秘境(※)を旭川と網走を結ぶ特急「オホーツク」が高速走行中。
(※)上川から遠軽の間、75.9キロ。途中駅はもちろん、通過。