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稚内駅にあった、モニュメント。初めて稚内駅に出かけたのは1994(平成6)年、東京から車で北海道の最北端、最東端、最南端を回る企画。JR北海道を利用すればいいのに、クルマで自由気ままに周り、しかもホテルや旅館を利用せずすべて車内で泊まる超倹約。20代の若気の至り。ウィークエンドの金曜日、突然の思いつきで青ヶ島に行くぞ!と「かめりあ丸」に乗り込む(※)とか、突然の思いつきでANAマイルで貯めたマイレージでソウル行きの航空券に引き替え、北朝鮮の国境付近まで行く!とか・・・今、考えてみれば、あの頃はすごいことをしたな。と。今!?移動しながら、遅すぎたチェックインではなく、18時か19時にちゃんとしたホテルに泊まります。もうオジさんだから、昔みたいにいきなりの思いつきや24時間ぶっ通しは無理。
(※)突然の思いつきで青ヶ島は運良く還住丸は結構せず、予定通り就航。いきなり青ヶ島に上陸しても、宿はどこでも受け入れてもらえず。部屋が空いても、当日の飛び入りでは食事の用意ができないという理由で・・・。アオガシマを愛する変な人なんだから、まあいいでしょう、と目をつぶってくれて、OK!と言ってくれたところへお邪魔しました。おじゃれ杉の沢荘さん。(当時は青ヶ島伝統住宅を民宿にしたものだけだったけれど、居酒屋オープン、しかも最近は新館もオープン。事業拡大)
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稚内駅改築に伴い、最北端の先端は撤去されてしまいましたが、工事完了後はもともとあった位置に最北端の先端を復元。
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先端の位置は改築前と全く同じとはいえ、周辺は昔の面影が全く無くなっています。
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最北端の鉄路からずーっと伸びて
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稚内桟橋駅まで。A級戦犯者として処刑された東条英機が樺太(サハリン)まで大日本帝国の植民地にしようと、稚内桟橋駅までレールを敷設。樺太までは航路、樺太の大泊から豊原まで日本国有鉄道の樺太鉄道庁。朝鮮半島も今の北朝鮮領まで同じく日本の国鉄。終戦後、朝鮮半島を手放し、ソ連軍とアメリカ軍が進出し。樺太も手放し、ソ連領。
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旧稚内駅舎にあったものを再利用。昭和の古めかしいシチズンの時計、現在も新しく生まれ変わった駅舎に埋め込み。
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旧駅舎の看板はホームに移動。旧駅舎の面影を少しでも残そうとする工夫が素晴らしい。