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夜明山の旧日本軍通信基地跡

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 首無し二宮尊徳像が置かれた場所の向かい側にこのような小さな道があります。この奥に初めて小笠原に来たときから旧日本軍の施設があることは知っていました。

 うっそうとした森の中にこのような大きなコンクリートで建てられた遺構があります。

 戦前、大日本帝国を守るためアメリカの上陸を防ぐため、このような軍の防衛施設を父島だけではなく、母島にも作られました。
 激しい地上戦は行われなかったんですけど、およそ200キロ離れた硫黄島では日米軍あわせておよそ2万人が亡くなられた激戦地として知られています。現在も、およそ400名の自衛隊が暮らしていて、父島や母島に光ケーブルが来ているお陰で硫黄島でも大手携帯電話3社通話エリアになったのはつい最近のことです。しかし、ネットショッピングのお届け先を「東京都小笠原村硫黄島」にしても配達されないのがネック。

 通信基地の内部。どうやら2階建てのようです。

 通信基地なので、もちろん電気が必要になります。発電機などの機材はすべて撤去されていますが、真ん中あたりは発電機が置かれていたと思われます。

 戦時中の通信手段は、今のようなインターネットの無い時代なので、モールス信号を解読し、送受信していたかも知れません。

 1940年にタイムスリップすると、ここに日本軍が多く駐在していたのであろう。

 「東京都小笠原村」が敷かれたのは、アメリカから本土返還された1968(昭和43)年6月26日から。
 終戦後はアメリカの占領地、戦前の「東京府父島扇村袋沢村」時代に建てられたもの2020年になっても、まだ健在。アメリカ占領下の置かれてあっても、「こんなの日本が軍事目的で建てたものは取り壊そう」と指示が出なかったのは幸い。そうやって、後世に語り継がれています。

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