絶版の本に出会える「ブックリサイクルフェア」はたぶん、1年の中で1番来客の数も非常に多い日だと思います。
国立国会図書館に所蔵してある資料は雑誌も含め、永年保存。昭和30年代の青ヶ島を知る資料とかたくさん所蔵されています。その資料を閲覧したいときは、パソコンで読みたい資料をプリントアウトして、カウンターに持参。数分後、出納された資料を館内で閲覧して帰る前に返却しなければなりません。市町村図書館みたいに自由に手に取ったり、館外への持ち出しは不可。國の大切な資料なので、管理も厳しいです。市町村の図書館は、所蔵スペースの関係で古くなり資料価値がなくなったものや、中央のみ1冊残して、分館(公民館)で除籍した資料が複数ある場合などはリサイクルに出すようにしています。
毎年毎年・・・補充や会場の整理を任されているので、バックヤードから段ボール箱を持ち運んで補充するので、かなり重労働・・・(笑)背番号の600番台が少なくなったら、新たに補充するという感じです。表紙が青白いDD51ディーゼル機関車の写真見っけ!!民営化直後、JR東海がユーロ色塗装で登場。青函トンネルが開通し、当時の北斗星はオリジナル色のDD51が2両。この本欲しいっ!!と思っても、難しい。フェアが終わって、片付ける前に自分の欲しい本を選べばよい。終わったあと、あの本まだあるのかと見ましたが、すでになくなってしまいました・・・。
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290番台。旅行関係のジャンルに残っていました。平成8(1996)年刊の「東京の島」。これも思わず、「青ヶ島」のページを開いてみました。
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うわっ!!若いっ!!テレビによく出るし、青ヶ島で知らない人は1人もいない、超有名人です。元村長さん。節分の日に小中学校の子どもたちの前で島で昔から引き継がれている「フーンクサ」の儀式を披露など、広報あおがしまで読んだこともありますし、牛祭りの相撲行司さんも兼任。
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面識はございませんが、大正12(1923)年生まれ。73歳と書かれていますが、現在92歳になります。
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青ヶ島の宿情報は、残念ながら引き抜かれていました。図書館の本を切り取って自分のものにする不届き者が少なからずいるのは残念です。現在も特に料理のレシピ本が一部切り抜かれているところもあります。コピーするか、同じ本を購入するかそのようにしていただきたい。
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鉄道に関する本はほとんど、鉄道ファンの方が持って行かれましたが、珍しく最後まで残っていました。「新生鉄道 出発進行」というタイトルなので、見落としていたかも知れません。
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1987(昭和62)年JR発足時の貴重な本ですっ!!
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北海道の路線図に誤りあり!!JR発足時は天北線、羽幌線、名寄本線、士幌線、池北線、松前線はあったはず。
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山手線にまだ103系が走っていた頃。懐かしい。205系(1985年から2005年の約20年)、今のE231系は2002年から登場、まもなく次世代の新型E235系が量産されます。
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1987年3月31日の夜、国鉄最終日。全国各地で一斉に「JR」マークを貼り付ける作業。その頃の私は山口県の何もない漁村で暮らしていました。「國鐵は赤字になっても国の援助があったけど、今度のJRは一般企業と同じになるので、山陰本線の利用が少なく赤字が続くようなら切り捨てられる可能性はある。駅もなくなるかも知れない」と当時、テレビやラジオでいろいろ情報を得ている伯母からの話をしてくれたのは今でも覚えています。当時の時刻表は1時間に1本。あれから30年近く。切り捨てられることはなんとか免れましたが、極端に本数が少なくなってしまいました。
JRは新しい会社だから、きっと新型車両が来るはず!!と子供心ながら期待していましたが・・・結局、汽車の側面に「JR」マークが貼られただけで、全然変わっていないのにがっくり・・といった記憶も。広島支社の黄色とクリーム色に塗り替えられてしまいましたが、現在はオリジナルに戻しているので、発足時の姿と同じになっています。
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1987年3月31日 国鉄発新会社行きのイベント列車。JNR東京駅22時13分発 JR西日本大阪駅に7時34分到着。
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発足時のJRは灰皿付きが常識。他人のタバコに寛容。現在はほぼ100%禁煙なので、灰皿付きの車両はもうお手上げ。
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熱海駅までは東京車掌区が担当だけど、まだ0時を過ぎていないため国鉄のバッジを装着。車掌という手話表現は、今でも「腕章」。今の時代、都会では自動改札が普及しているのに、「駅」も、切符にパンチを入れる表現。
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0時を過ぎて、熱海駅で車掌交替。すでにオレンジ色(東海)のJRバッジが輝いていた、とのこと。
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民営化最初のお弁当。朝食にしては赤飯にエビなど豪華すぎる。JR発足時はまだ子どもの時なので、切り替わる瞬時を見届けることはできませんでした。今回ゲットした本で懐古(笑)。
国立国会図書館に所蔵してある資料は雑誌も含め、永年保存。昭和30年代の青ヶ島を知る資料とかたくさん所蔵されています。その資料を閲覧したいときは、パソコンで読みたい資料をプリントアウトして、カウンターに持参。数分後、出納された資料を館内で閲覧して帰る前に返却しなければなりません。市町村図書館みたいに自由に手に取ったり、館外への持ち出しは不可。國の大切な資料なので、管理も厳しいです。市町村の図書館は、所蔵スペースの関係で古くなり資料価値がなくなったものや、中央のみ1冊残して、分館(公民館)で除籍した資料が複数ある場合などはリサイクルに出すようにしています。
毎年毎年・・・補充や会場の整理を任されているので、バックヤードから段ボール箱を持ち運んで補充するので、かなり重労働・・・(笑)背番号の600番台が少なくなったら、新たに補充するという感じです。表紙が青白いDD51ディーゼル機関車の写真見っけ!!民営化直後、JR東海がユーロ色塗装で登場。青函トンネルが開通し、当時の北斗星はオリジナル色のDD51が2両。この本欲しいっ!!と思っても、難しい。フェアが終わって、片付ける前に自分の欲しい本を選べばよい。終わったあと、あの本まだあるのかと見ましたが、すでになくなってしまいました・・・。
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290番台。旅行関係のジャンルに残っていました。平成8(1996)年刊の「東京の島」。これも思わず、「青ヶ島」のページを開いてみました。
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うわっ!!若いっ!!テレビによく出るし、青ヶ島で知らない人は1人もいない、超有名人です。元村長さん。節分の日に小中学校の子どもたちの前で島で昔から引き継がれている「フーンクサ」の儀式を披露など、広報あおがしまで読んだこともありますし、牛祭りの相撲行司さんも兼任。
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面識はございませんが、大正12(1923)年生まれ。73歳と書かれていますが、現在92歳になります。
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青ヶ島の宿情報は、残念ながら引き抜かれていました。図書館の本を切り取って自分のものにする不届き者が少なからずいるのは残念です。現在も特に料理のレシピ本が一部切り抜かれているところもあります。コピーするか、同じ本を購入するかそのようにしていただきたい。
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鉄道に関する本はほとんど、鉄道ファンの方が持って行かれましたが、珍しく最後まで残っていました。「新生鉄道 出発進行」というタイトルなので、見落としていたかも知れません。
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1987(昭和62)年JR発足時の貴重な本ですっ!!
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北海道の路線図に誤りあり!!JR発足時は天北線、羽幌線、名寄本線、士幌線、池北線、松前線はあったはず。
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山手線にまだ103系が走っていた頃。懐かしい。205系(1985年から2005年の約20年)、今のE231系は2002年から登場、まもなく次世代の新型E235系が量産されます。
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1987年3月31日の夜、国鉄最終日。全国各地で一斉に「JR」マークを貼り付ける作業。その頃の私は山口県の何もない漁村で暮らしていました。「國鐵は赤字になっても国の援助があったけど、今度のJRは一般企業と同じになるので、山陰本線の利用が少なく赤字が続くようなら切り捨てられる可能性はある。駅もなくなるかも知れない」と当時、テレビやラジオでいろいろ情報を得ている伯母からの話をしてくれたのは今でも覚えています。当時の時刻表は1時間に1本。あれから30年近く。切り捨てられることはなんとか免れましたが、極端に本数が少なくなってしまいました。
JRは新しい会社だから、きっと新型車両が来るはず!!と子供心ながら期待していましたが・・・結局、汽車の側面に「JR」マークが貼られただけで、全然変わっていないのにがっくり・・といった記憶も。広島支社の黄色とクリーム色に塗り替えられてしまいましたが、現在はオリジナルに戻しているので、発足時の姿と同じになっています。
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1987年3月31日 国鉄発新会社行きのイベント列車。JNR東京駅22時13分発 JR西日本大阪駅に7時34分到着。
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発足時のJRは灰皿付きが常識。他人のタバコに寛容。現在はほぼ100%禁煙なので、灰皿付きの車両はもうお手上げ。
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熱海駅までは東京車掌区が担当だけど、まだ0時を過ぎていないため国鉄のバッジを装着。車掌という手話表現は、今でも「腕章」。今の時代、都会では自動改札が普及しているのに、「駅」も、切符にパンチを入れる表現。
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0時を過ぎて、熱海駅で車掌交替。すでにオレンジ色(東海)のJRバッジが輝いていた、とのこと。
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民営化最初のお弁当。朝食にしては赤飯にエビなど豪華すぎる。JR発足時はまだ子どもの時なので、切り替わる瞬時を見届けることはできませんでした。今回ゲットした本で懐古(笑)。