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切符オタなら、眺めるだけでも楽しいサイト。最南端の「みどりの窓口」で最北端発の指定席券。枕崎 → 稚内の乗車券で枝分かれするような乗車券をまとめて発券してもらうつもりでしたが、マルス端末は1台しかなく、最南端の駅で北海道のどこからどこまで・・・と要求するのはかなり厳しい。今度は県庁所在地で九州新幹線の始発駅、比較的ベテランな駅員さんがいる鹿児島中央駅ならスムーズ・・・と思ったら、とっても若い女性。新入社員のようで後ろにベテランの駅員さんが指示。自社の範囲つまり、最北は福岡県までなら何々線とかは頭にインプットしているが、北海道だとかなり難題。予約した新幹線の発車時刻が迫っているので途中で切り上げ、博多駅へ。かなり混んでいましたが、博多駅も他社でも慣れている女性の方。稚内でも難なくスムーズに発券!!北海道なら(1- )のはずなのに、九州の(6-タ)を道内で行使!!(もちろん、相互清算が行われ、九州で発券しても手数料を少し差し引きて北海道に還元)
なっちゃんのドラマは昭和34(1959)年の世界。一般家庭のインテリアとかもちゃんと時代考証されていて、忠実に再現。ハガキが出たときの切手も円単位切手の5円オシドリ(1955(昭和30)年9月10日のものが使われていて、正解。封筒も10円の観音菩薩像(1953(昭和28)年7月10日なので、ヨシ。違和感無し。小道具担当の方、ちゃんと検証して再現しているところが素晴らしい。
なっちゃんが幼い頃、戦争で家族が離ればなれになり、東京から北海道の十勝へ。兄の咲太郎君と再会は果たせたが、妹の千遥はどこで過ごしているのかわからないまま13年の歳月が流れ・・・千遥が北海道の住所が記されたハガキを大切に持っていたため、訪ねに来た。その頃のなっちゃんは東京で働いている。富士子お母さん・・・・といっても、昔は家政婦のミタの主役を演じたお方。無茶な仕事でも「承知しました」と依頼主からの頼み事を無表情で黙々と仕事をこなしているが、今回はからりと変わり、人情厚い田舎のお母さん。千遥にナイショでなっちゃんの会社に電話。当時は黒電話で交換手がいた。「北海道の音問別4141番からの通話です。どうぞ」。電話交換手が最後までいたのは、青ヶ島村の1982(昭和57)年頃。1983(昭和58)年から全自動化。あれから15、16年後の1999(平成11)年頃、ドコモが携帯電話基地局を設置。アイモードも使えるし、青ヶ島でインターネットが出来る!!!とネット社会の幕開き。当時は電話回線につないで、東京23区のアクセスポイントに接続。04996-9から03にかけるときも、特例により、隣接料金体制になる。電話回線でインターネットにつなぎっぱなしだと電話料金が気になるので、深夜早朝の時間帯(23時から翌日8時まで)に限り、予め指定した2つまでの電話番号に対し、通話時間に関わらず料金が月極の一定料金となるテレホーダイを契約していた方もいらしていたのでは。2004(平成16)年から、ようやく青ヶ島村にブロードバンドのADSL導入。ADSLは電話回線を利用するため、天候次第でネットが使えない時間帯も出てくる。電話の自動化も昭和58年、と全国に比べるとかなり遅かったんですが、八丈島から青ヶ島まで海底光ファーバー敷設工事は完了。各戸に光コンセントをすでに敷設完了。あとは、光の開通を待つだけです。令和元年度末(予定では、令和2年1月から3月?)から 青ヶ島でも超高速インターネット!パソコンがサクサク動け、動画も途中で止まってダウンロードを待つ、ということは無くなります。これで、青ヶ島村のネット環境は本土と同じになります!!小笠原村は2011(平成23)年、八丈島から800キロも海底ケーブル敷設工事完了。それまでは衛星回線通信経由でインターネットだけど、2012(平成24)年から光ファーバー。真新しい「おがさわら丸」で小笠原に行ったときも、母島でもスマホの動きが内地と変わらなかったと記憶しています。青ヶ島村も来年からネットは内地と同じ速度になります!!
(追記)
書いた当初の目的から大きくかけ離れている。青ヶ島の話に脱線。
1959(昭和34)年、東京から帯広へ向かうのに、1日目の夕方、青森行きの夜行列車。2日目。青森から国鉄の青函連絡船で函館。船でも、運賃を打ち切ることはなく切符は東京から帯広まで通し。本州、道内の国鉄線と合算し、連絡船の運賃も加算。今の新幹線だとあっという間だけど、船はおよそ5時間。函館から帯広まで地図をちらっと見ただけで250キロくらいか?と見間違えそうですが、実際はなんと450キロ。どんなに早くても3日かかるのでは、と朝ドラで言ったとおり。今だったら、羽田から帯広まで空路で数時間で行けてしまう。昭和30年代はかなり苦労していた。