今朝、条件付きで出航するとアナウンスして、ちゃんと入港できたか島民たちのツイッターで確認していますが、今朝は静かだった港が次第に荒れてきて、せっかく青ヶ島まで近づいたのに着岸できず八丈島へ引き返してしまいました。今日は条件付きで出航したけれど、欠航と記録。条件付きで出航して欠航になるのは、年に2回か3回あるだけで稀です。前回の記録を見ていると、2017年11月9日。条件は付かず、最初から就航となっているのに、なぜか途中から荒れてきて着岸できず引き返し。
昭和30年代だと、東京から八丈島までの大型客船が青ヶ島に延伸するのは年に4回か5回。沖合で停泊し、学校もお休みにして島民総出で艀作業で入荷した食料品などを運搬する大イベント。電話もない時代なので、郵便が1番心待ちにしていたようです。あの頃は元日に配達されるはずの年賀状は4月。教科書も入学や進学にあわせるべく、4月に配布すべきなのに7月になるのは珍しくないそうです。
1926(大正15)年12月25日、大正天皇が崩御され、翌日の12月26日から31日までは昭和元年。元日から昭和2(1927)年。大正時代はラジオや電話回線もなかったので、改元された情報すらも届いていなかった。全国でただひとつ、青ヶ島では幻の大正16年が続いていたということです。1927(昭和2)年の暮れ(ちょうど1年後)、島の荒磯にたどり着いた土佐船の船員を救助した際に、昭和に改元されたことを初めて知ったというエピソードもあります。
あれから・・・90年後。地上デジタルテレビも映るし、スマホも、ネット回線も内地の水準と全く変わらなくなっている。今度は光ファーバーが導入すれば完璧!!
昭和30年代だと、東京から八丈島までの大型客船が青ヶ島に延伸するのは年に4回か5回。沖合で停泊し、学校もお休みにして島民総出で艀作業で入荷した食料品などを運搬する大イベント。電話もない時代なので、郵便が1番心待ちにしていたようです。あの頃は元日に配達されるはずの年賀状は4月。教科書も入学や進学にあわせるべく、4月に配布すべきなのに7月になるのは珍しくないそうです。
1926(大正15)年12月25日、大正天皇が崩御され、翌日の12月26日から31日までは昭和元年。元日から昭和2(1927)年。大正時代はラジオや電話回線もなかったので、改元された情報すらも届いていなかった。全国でただひとつ、青ヶ島では幻の大正16年が続いていたということです。1927(昭和2)年の暮れ(ちょうど1年後)、島の荒磯にたどり着いた土佐船の船員を救助した際に、昭和に改元されたことを初めて知ったというエピソードもあります。
あれから・・・90年後。地上デジタルテレビも映るし、スマホも、ネット回線も内地の水準と全く変わらなくなっている。今度は光ファーバーが導入すれば完璧!!