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純和食のははじま朝ごはん。洋風の建物とはいえ、ニッポン定番の朝ごはんはとても美味しいです。
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朝食は、いつも島のものはないことが多いですが、お味噌汁の茄子が母島産。キャベツのさっと煮に母島のオゴダイが入っています。北海道夕張メロンです。
母島に来て、北海道の夕張メロンとはすごく贅沢。北海道から東京までの輸送は主に貨物専用の飛行機ですが、飛行機に搭載できないものは、北海道新幹線兼用の青函トンネルを潜って貨物列車。あるいは、船舶での輸送になります。JR北海道のH5系で帰京途中、道内の新幹線車窓からは貨物列車とすれ違い。
メロンは生ものなので、たぶん、ゆうパックのチルドで飛行機と「おがさわらまる」「ははじままる」でやっとここにたどり着いたもの。
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母島に来たら、どうしても外せないもの。母島の歴史を学べる、ロース記念館。
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小笠原村教育委員会なので、建物は小笠原村が所有。
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アメリカから返還された1968(昭和43)年6月26日、東京都小笠原村発足。アメリカの占領下に置かれる前までは5つの村。父島は北部に大村、南部は扇村袋沢村。母島は北部に北村、南部は沖村。硫黄島は全島硫黄島村。
今の北港はアメリカの占領下に置かれてしまっては、日本人はそこに住めなくなり、撤退。今はもうすっかり無人地帯ですが、戦線の様子はいくつかの家がが連なっていて賑やか。
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ここに旅人が泊る、旅館もあったくらい。
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奥に見える桟橋のようなものは、今も現存。
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牛さんも飼っているのが見えます。クルマのない時代なので、重たいものは牛さんが運んでくれました。青ヶ島もそうでした。
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今上天皇も、ロース記念館をご視察なされたときの様子です。
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もし、硫黄島が陥没された場合の防衛として、母島も最前線になるのに備え、砲台や機関銃など配置。ダイニッポンの刻印がついているビール瓶などを展示。まだまだながーく続きます・・・。