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東京から南へ1000キロ、小笠原の二見。西へ1000キロはもともと実家のあった長門二見駅(山口県)。昔は、南と西へ1000キロ、両方の「二見」に帰っていましたが、最近はめっきり減ってしまいました。
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7年ぶりです!!懐かしい街並み。
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メインストリートにあるバー。私のニックネームと同じくバーの「crayon」。
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意外と、父島はISDNグレー公衆電話がほとんどです。今の時代、小笠原諸島でも海底光ファーバー敷設しているので、携帯の規格はLTE(4G)。スマホのデザイリング機能を使えば、ノートパソコンに接続して高速インターネットも可能。わざわざ公衆電話に繋いで使う人はいなくなっていると思います。2000年代、小笠原ではドコモが独壇場だけど、アンテナが立っていても音声電話のみ。(iモードによるメールの送受信ができなかった)メールの内容を確認しようとノートパソコンにつないでも、当時は衛星電話なので、なかなか繋がらず悪戦苦闘したことも。
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今度は小笠原村役場へ。開庁時間は平日8時から17時15分まで。8時から開庁する理由は、昼休み12時から13時半まで。もし、昼休みが12時から13時までなら、8時30分からになります。小笠原は昼休みは1時間半もあるなんて、ゆったりしていてよいところだと思いますが、その代わり、朝は30分早い。
小笠原郵便局は昔(10年前かな?記憶はうろ覚え)は8時から16時まででしたが、現在は内地と同じく9時から17時まで。
母島簡易郵便局はJAに委託しており、8時30分から14時30分まで。ただし、ゆうちょ銀行のオンライン端末は9時からでないと操作できないので、ゆうちょ窓口は9時からです。ATMはない代わりに、キャッシュカードは窓口扱いになります。
青ヶ島郵便局は平日8時から16時まで。土日祝も8時から12時まで窓口は開いているので、365日風景印押せます。ATMも設置されていて、ホリデーサービス対象。平日9時から17時30分まで、土日祝も9時から16時まで。青ヶ島に上陸して、なかなか帰れなくなったという事態に見舞われたときは大助かり。民宿どこもクレジットカードが使えないので、延泊した分をATMで現金を調達することも可能です。
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入ってみまーす!!
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小笠原道大選手が巨人時代(2007~14)と現在の中日2軍監督のユニフォームが飾られていました。小笠原村の観光親善大使なので、村では中日を応援しているとのこと。
・小笠原村観光親善大使
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封筒。
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村の人口は・・・父島2134名、母島472名。母島も1968(昭和43)年に返還されましたが、終戦後、米軍の占領下の置かれているときはずーっと無人島。インフラ整備に5年かかり、人が戻り始めたのは1973(昭和48)年頃。