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Channel: 東京アイランド
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光風明媚な風景が続く黒部渓谷鉄道

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 もともとは関西電力の発電施設の保守・工事用として敷設した鉄道ですが、今や観光路線になっています。
 富山県は北陸電力の管轄ですが、ここで作られた電気は京阪神圏へ瞬時に送電されます。
 首都圏における電力は福島原発に頼っていましたが、今から5年前の東日本大震災。福島原発が津波でやられてしまい、操縦不能に。電力が足りなくて輪番停電などもありました。
 日本一最果ての秘島、青ヶ島も東京電力、島のよろず屋さんの、十一屋さんから民宿杉之沢の間に「東京電力青ヶ島発電所」の立派なプレートがあります。たぶん、火力発電所になっていると思いますが、初めて電気が入ったのは、昭和34(1959)年に学校用の自家発電機設置。一般の住宅はまだまだランプ生活なので、昭和40(1965)年ころから、電灯インフラ整備を!と取り組みが始まりました。そのころの三宝港は大型船から小型船に乗り換えて陸上げする船着き場なので、はしげ作業で大型の発電機では運べないので、大型ヘリコプターで運ばれ、その場で分解。島民総出で分解した部品を発電所まで運び、その場で再度組み立て。
 電線は今みたいに頑丈なコンクリートで作られた電柱ではなく、強風で切れないように土を掘り起こして、電線を埋めていたそうです。
 記念すべき、1966(昭和41)年10月25日午後5時、一斉に送電。初めて家庭に電灯が灯りました。今みたいに24時間使えるわけではなく、当時は時間制限。17時から22時の間、しばらくして、朝の5時から13時まで、16時から0時までに延長。24時間電気が使えるようになったのは昭和47(1972)年から。
 昭和41年は、船が来るのは月に1回。来る予定だったのに、海は荒れると先延ばしし、1ケ月後。過酷な秘境なので、テレビは内地の情報が瞬時に入る、貴重なものが電気により視聴ができるようになりました。外国語のようで難解な青ヶ島方言のみしか話せなかった子供たちもテレビで標準語の知識を得るようになったのも、その頃だそうです。
 青ヶ島は電気が入りましたが・・・八丈島の隣にある小さな小島、八丈小島(宇津木村、鳥打村)は電気や水道、ガスのインフラを整備することはなく、1969(昭和44)年、国により、強制退去させられました。



 黒部渓谷鉄道の話なのに、なぜか青ヶ島の電力事情に脱線。

 きれいな風景ばかり続いていました。ところが・・・どこからともなくたばこのにおいが!マナーの悪い乗客が勝手に吸っているのか!?と思い、あたりを見回すと吸っている人は皆無。ということは、先頭の機関士さんがぷぁーっと吸いながら運転しているかも知れない。
 確かに機関車は誰にも邪魔されず、1人で乗務なので、勝手に喫煙しようか誰からもおとがめもないのは確か。しかしな・・・今日は暑くて後ろの客車は窓を全開しているんですよ。そのあたりのところをわきまえなさいっ!!客車の窓が閉まっていれば、どうぞ喫煙しても構わないですけど・・・。国鉄時代の山陰本線DD51機関車の機関士さんが窓を全開し、たばこを吸いながら駅に停車、というシーンはよく見かけましたが、当時はそれぐらいで驚くことはなく、当たり前という感じに受け取れましたが、今は大きく社会が変わっているんですよぉ。

 鐘釣駅。ずーっと携帯電話の「圏外」エリアが続いていましたが、ここでようやく電波が入り、LINEの着信あり。「リビングの電気がふっと消えたのよ、外に出ている父の身に何かあったのかしらね」という文面を見ると、「自分は死んだから虫の知らせかも」という感じにくみ取れる。「は?考えすぎじゃないの?縁起でもない」→ あとで調べたら霊的要素は全くなく、照明器具そのものの寿命。器具を新しく取り替えたので、途中でふっと消える現象は出ない。

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