タイトルのとおり、「小笠原へ帰りました」とこの写真を載ってしまえば、東京から南へ1000キロの父島だと思わせるような風景。
実は、この写真、東京から西へ1000キロ、山口県の山陰本線、小串駅と湯玉駅の間にある風景なんです。ずーっと何もない田舎に住んでいた頃、毎日のようにこの風景を眺めては「大都会のトーキョーに行きたい」と想い続けていたのは何故なんだろう。今だったら、青ヶ島や小笠原に移住したい気持ちが・・・。
上の2枚だけは、父島でも似たような風景はありますが、3枚めの写真は小笠原にない風景。
向こうの島は男島(おんしま)。そのとなりにある小さな島は女島(めんしま)。人は住んでおらず無人島。
手前の部分だけ拡大すると母島の南崎だと錯覚してしまいそう。
下は本物の南崎(母島)風景。山口県の故郷に小笠原のような風景があったとは!!JR西日本さんもこの風景を自慢できる場所だと、「〇〇のはなし号」に乗っているお客様もこの風景を楽しませるように数分間は停車します。粋な計らい。
今のような観光列車が走っていない30年くらい前。平成の初め頃はワンマン化されておらず、すべて車掌さんが乗務。小串を出ると、次の駅まで比較的長くなるし、小串から先は無人駅が続くので、検札開始っ!!検札を実施したあとは無人駅で下車しても回収されず持ち帰れた。昔の切符アルバムを広げてみると「い」「ろ」「は」の文字が浮き出る検札鋏で入鋏した痕跡がたくさん。検札がなかったら、ドアを開けたら、出口のところに猛ダッシュ。きっぷや現金による運賃収受。今でも「ワンマン」であってもたまに車掌さんが乗務し、無人駅からのお客様の顔を記憶、あとで座席まで伺うロックオン。長門二見という無人駅から乗車すると、発車して間もなくロックオンされたこと何度も。乗る前に用意しておいた変な経路を書いたメモを渡すと、「ここで発行は出来ないから下関駅の窓口で」と言われ、
「ゆき」だけ手元にあるけど、「かえり」は無い。おそらく、車掌さんが出口に猛ダッシュし、回収してしまったかも。平成4年なので、もう30年近く昔になります。熱転写なので、永久的に脱色や文字消えの心配はありません。
「まるで小笠原」の動画を1分近くお楽しみください。(音が出ます)
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小笠原へ帰りました
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