折尾から各駅停車でおよそ25分。小倉駅到着。815系は交流専用なので、関門トンネルを潜れないので、向かいのホームで下関行きの交直流411系1500番台が待機。下関の次は佐伯行き。途中の停車駅は行橋、中津、別府とはずいぶんとノンストップ。今から別府に行って温泉と思っても時間がね・・・。
まだ新しそうに見えますが、1986(昭和61)年デビューなのでもう34年前になります。あの頃、東京に憧れていて、ここでも新しい山手線みたいな電車が来た!!とものすごく斬新な印象がしたのは確か。今の山手線はE235系(2017年~)、その前はE231系(2002年~)、E231系が出る前は205系(1985年~)なので、ちょうど同期になります。山手線と同じ形式のE235系が総武横須賀線向けにデビューしたばかりで内房線や外房線へ直通。新しいもの好きなので、真っ先に乗りに出かけるのが私のポリシーなんですけど、中国ウィルスのせいで乗る機会が奪われつつ。
今日も東京都における中国ウィルス感染者は1471名(2021年1月21日)。市内での感染者情報も入るんですけど、元日から20日間だけで250名の方が感染されており、数名程度の少ないベースだった半年前に比べるとかなり急ピッチで拡がっている状態。緊急事態宣言の解除基準は都内1日500人以下のようだけど、目標値までほど遠い。以前のような暮らしを・・・と願いを込めて疫病退散アマビエさまの入鋏印付きの年賀状を作ったのになんだか空しい感じ。
小倉駅の有人通路で「鹿児島中央→【区】東京都区内」の乗車券と若松駅でタッチしたスゴカを差し出し、精算。そのスゴカは出場済のデータが入っているので、次回入場時にバタンと改札の扉が閉まることはない。スゴカを精算するのを失念し、そのままJR東日本のスイカエリアで入場しても「前回の出場処理が完了していません」とエラーになり扉が閉まるかどうか不明。有人通路で調べてもらっても「ここで他社の未収受区間を勝手に精算することはできないので、九州のスゴカエリアでしてもらってください」と言われたら、もう大変。
小倉駅も改築し、昔に比べるとかなりお洒落な雰囲気に変わりました。特記すべき事項は・・・JR九州(赤色)とJR西日本(青色)のみどりの窓口が仲良く隣同士。
小倉駅真上のJR九州ホテルにチェックイン。南口に真新しいホテルが建っているところがいくつかありますが・・あの場所はかつての永照寺跡地。そして、幽霊がよく出る小倉コレットからそんなに離れていない場所。いろいろ検討してみた結果、幽霊とは無縁な北口よりも昔から鉄道用地であった小倉駅真上のほうが安全。
フロントは7階ですかい!?
案内された部屋は新幹線側。
ホテル仕様のリモコンでも字幕を出せればオッケー。たまに出せないものがあるので、情報保障のためフロントでメーカー純正のリモコンを借りるなりして「聞こえない人は字幕が必要です」とアピールしておこう。
ドームのようなものは改札口真上。向かいは新幹線ホーム。
JR九州側の小倉駅南口。ちなみに反対側の北口はJR西日本。昔は連絡通路で離ればなれ、かなり不便だったけど、今はすっかり改良。在来線はJR九州の南口で集約し、新幹線の改札口は向かい。(昔の北口在来線改札口はJR西日本の駅員さんなので、九州の在来線を案内するなど自社ポジション外の業務)
昭和時代なら「小倉郵便局」。平成に入って間もなくの1990(平成2)年に「北九州中央郵便局」に改称。「北九州中央郵便局」が別の場所に移転し、ここは「小倉駅前郵便局」に変更。都会の象徴であるコイル切手販売機も設置していたので、小倉に来たらコイル切手を何枚か購入して田舎へ帰ったり・・・。コイル切手とは、自動販売機で売られている切手。窓口で売られている通常の切手は、シートから切り離すための目打ち(切手を簡単に切り離すことができるように付けられた連続の穴)が4辺にあるが、自動販売機向けは1000枚をロール状なので、左右の辺には目打ちがないもの。
今の時代、コンビニなどで24時間買えるところが増えているので、切手自動販売機の需要がなくなり、郵便局が民営化になる直前の2006(平成18)年頃消滅。
小倉郵便局のとなりに「三菱銀行」があったのは覚えている。DD51のディーゼルー機関車や自動車、家電の製品に三菱マークがついていて、何で金融機関の銀行もあるのかと不思議に思ったことも。東京の伊豆諸島や小笠原を結ぶ船はすべて山口県下関市で製造された「三菱重工業」の製品。
幽霊が頻繁によく出る、いわくつきの百貨店。ここはもともと永照寺の墓地だった。歴史はとても古く、1495(明応4)年から引き継がれていますが、平成の初め頃、駅前の開発に伴い、お寺を付近の大手町に移転させた。墓地のあった区画では丁寧に掘り起こし、土葬時代の人骨も発掘。深く掘ってもまだ500年昔の人骨が出てくる。すべては難しく、途中で収集は断念。その土地の上に百貨店を建ててしまったため、500年以上の眠りから目覚めた幽霊たちが現世の従業員の前に現れるようになりました。最初に建てたのは「そごう」。いつの間にか破綻し、今度は「玉屋」。これも数年で破綻し、「伊勢丹」。これもダメになり、また「コレット井筒屋」に代わり、数年前も閉店。今は「小倉アイム駅前」に変わりました。駅前1等地だというのに、相次ぐ破綻は墓地の霊魂と深い関わりはありそうです。
「幽霊に寿命はあるのか?」と言われてみれば、私もわかりません。東京都千代田区の大手町にある平将門の首塚も1000年以上続いています。土地開発のため、他の場所に移転させようと重機を操作し、不慮の事故を起こして亡くなられた方もいらっしゃる。今も東京都の文化財に指定され、大切に祀っており、その場所から移転せず。幽霊に寿命はなく、何千年も生き続けているということになります。
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懐かしい小倉駅
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