竜田口駅を通過、次の駅も通過。水前寺駅停車。
駅名が「水前寺」となっているけれど、この付近に寺院はありません。平安時代に肥後国の国府が置かれていた影響もあり、水前寺駅の2キロ圏内に県庁、市役所、警察本部、熊本城などもあり、中心地を成しているところです。
平成の初め頃、特急の783系ハイパーサルーン「有明」号の一部が水前寺乗り入れ。非電化区間なので熊本でDE10ディーゼル機関車と貨物列車の車掌車を電源室に改造した車両を連結。ディーゼル機関車が特急を牽引することもありましたが、今は九州新幹線なので、消滅。
東海学園前駅は通過していて気づかなかったのですが、これもまたJR九州の駅に「東海」の付く駅名。東海大学熊本キャンパスの最寄り駅であり、2005(平成17)年新設。有人駅でマルス端末はないけど、自動券売機はある。JR東海の地紋はセントラルを意味する「C」だけど、こちらは九州の「K」地紋に「東海学園前」印字。茨城県の常磐線にも「東海」駅があり、こちらは東日本の「E」地紋。「東海」の付く駅名に「C」地紋ではなく、「K」や「E」。
「水前寺」を出て、1分後にまた「新水前寺」停車。駅と駅の距離はわずか600m。これもJR九州発足後に新設された駅。路面電車の熊本市交通局の水前寺停留所から従来のJR水前寺駅まで500m離れており、乗り換えに不便だったそうです。新しく「新水前寺駅」を設置し、路面電車で各方面に向かうのに利便性向上。
南熊本駅は通過。熊本駅から見れば、東側なのになぜ「南熊本」なのかちょっと不明。
平成駅通過~!!
忘れもしない、2019(平成31)年3月。新しい元号が発表される前、いまのうちに!!と「昭和から平成ゆき」の乗車券で未乗区間をあちこち片付けながら平成駅。友人自身のお名前になっている駅名を「新しい元号を迎える「平成」のうちに、JR全線完乗のゴール駅」に設定し、ゴール。私よりも積極的に全国のあちこち回り、気がつけば私は未乗区間を多く残したまま「令和」を迎え・・・・。令和になっても氷見線、小海線、東北本線利府支線、岩沼からいわきまでの常磐線など少しずつ片付け、今はJR北海道の滝川から富良野間を残すのみ。
大分から3時間かけて九州横断。熊本に到着。大分から小倉、小倉から新幹線で熊本の方法のありますが、要所時間はほぼ同じで料金は九州横断のほうが安いです。そのため、横断は朝夕2往復に設定。
キハ185-10のことを調べてみたら、もともとは国鉄時代末期、民営化後の経営に困らないように国民の税金で賄えるうちに、と国鉄が四国向けの特急を生産。JR四国独自で開発した新型のディーゼル特急を活躍させるため、余剰となった185の一部を九州に売却。
国民の税金で賄えるうちにと昭和60年から新しく製造されたのは、東海道本線の211系、同系列の山手線の205系。北海道と四国向けにキハ54,九州と四国向けにキハ31、交直流どちらも使えるように211系をベースに九州の415系1500番台。下関駅にJR九州のピカピカの新しい415系1500番台が入線したとき、まるで東京のようで洗練されたデザインだと記憶していますが、あれからもう30年以上も経つんですかね・・・。
1986(昭和61)年、新潟鐵工製。製造されてから34年。JR四国のキハ185は国鉄の面影は残っているが、こちらは九州らしく派手に改造。
到着して休む暇もなく、折り返し。「九州横断」から「あそ」に名称変更して、宮地行き。
最近・・・何度も熊本に来ているような気が。SLひとよし号で熊本、昭和から平成の旅で熊本、そして、今回も。九州新幹線が開通する前も、特急「有明」や「つばめ」で何度か熊本に来ていますが、あの頃はとてつもなく遠かった、という記憶がありますが、今は九州新幹線のおかげでぐーんと近くなりひとっ飛びの状態。
昔は国鉄らしく地上駅だったのに、今は高架駅に改造。
ちょうどお昼どきなので、改札を出て、エキナカの飲食店を物色。
右上に「熊本駅」の途中下車小印をゲット。駅員さんも経由を確認するのに「日豊・豊肥・熊本」。細かくじけじけと見なくてもここが途中下車の対象とすぐ判断。鹿児島中央からここまで来るのに、かなり遠かったのに「日豊・豊肥・熊本」の6文字。
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3時間かけて横断
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