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父島の中心地でも戦跡

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 5月20日の午前10時に出発した船は、21日の午前10時、父島の二見港に入港。乗船客の数はなんと27名。緊急事態宣言が出た4月7日から一斉休業。観光客が小笠原に出かけても泊められるところは皆無なので、27名は業務に関わる方々だと思います。
 緊急事態宣言が解除されたとたん、大勢の人が押しかけてしまわないか、ちょっと心配もあります。東京から1000キロ離れたところ、しかも交通手段は24時間の船しかない。引き続き来島自粛要請を続けるかどうか。
 「コロナ」の「コ」すらなかった、去年(令和元年)の7月、小笠原はよいお天気が続き、とっても穏やかだったのに。

 今度は父島の中心地に向かいます。このあたりは清瀬あたり。本土の東京都でも埼玉県に突っ込んだ清瀬市がありますが、父島でも「清瀬」という地名があります。
 ここは、父島要塞大村第一砲台の予備電灯格納庫跡地。1921(大正10)年7月から二見港防衛のため、工事開始、電灯といっても、兵器格納庫。

 この写真は2010(平成22)年1月28日撮影。

 予備電灯格納庫の跡地は、小笠原警察署の職員住宅が新しく建てられています。わずか9年の間なのに、激変。

 小笠原住宅の向かいの風景。

 今度はあそこへ向かいます。父島要塞大村第二砲台跡。

 ガジュマル。沖縄でも風よけに植えられているので、よく見かけます。内地だと気候にあわないのか、全然見かけないものです。


 今も残る、油庫。砲台管理用の機械油や発電機用として重油を保管していたところ。


 さすがに「油」のにおいは全然しませんでした。

 村道から入ったところの森の中。

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