
今度は勝田に戻りまして、わずか1駅の水戸駅へ。

JR東日本は緑色のはずだけど、ここだけは特別。水戸黄門カラーかも!?

水戸黄門さまは徳川家康の孫、水戸藩の2代藩主。昭和時代、国民的時代劇シリーズ「水戸黄門」が人気だったそうですが、当時はアナログ放送でしかも字幕無し。印籠を出されると、ひれ伏せしながら土下座・・・・の場面だけインパクトが強い。

水戸は茨城県の県庁所在地なので、ご覧のとおり都会。

駅舎もビックカメラが入っています。

これから水郡線の一部、未乗区間を片付けに。なんでその区間だけ?と思われたかも知れませんが・・・。
実は、2000(平成12)年の1月10日に友人と青春18きっぷの旅行で東北地方を巡回し、最終日に郡山から水郡線に乗って、常陸太田。当時、まだ現役だった日立電鉄(2005年廃止)で大甕まで行っていることが判明。
私はきれいにすっかり忘れていたのに、友人はセキュリティやバックアップなどをしっかり行っているので、当時の切符や私の書いた旅行記などは永久保存。私は過去に1度、パソコンのハードディクスに写真やデータを保存したまま、突然故障。データを取り出せないまま泣く泣く廃棄処分してしまったことはあるんですが、友人はちゃんと保存してくれたんですか!!

「水郡線の支線、上菅谷~常陸太田間にも乗ってみたいねと話が出ていたので、その支線に乗ることになった。
これも同じキハ100だった。(ずーっと同じ形式のディーセルカーは乗り飽きてしまった)
私は鉄路が途切れている終着駅の雰囲気が好きだし、常陸太田駅はどんな駅だろうか?と期待していた。
駅のまわりは住宅地になっていて、木造の古い駅舎だった。
みどりの窓口が置かれてあって、昔のピン差し式マルスが残っていたのだ。
今はパソコンが主流になっているけど、そちらの駅は駅名がずらりと入っている穴にピンを差込む方式なので、懐かしいものが残っていたのだ。パソコンのマルスはあまりスペースを取らないが、昭和時代末期に出たマルスは机と同じぐらいの大きさだった。昔のコンピュータはすごく大きかったが、今は小型化になり持ち運びできる時代になってきた。」 (2000年当時の旅行記より)
(入場券の画像は友人所有のものをスキャンしてもらいました。初期M型なので、熱転写)
あれから20年後の常陸太田駅は・・・みどりの窓口無し。指定席券売機のMV機のみ設置。

水戸を出て、1駅目だというのにさっきの風景がウソみたいに田舎の風景になります。

車内は学生で混んでいたため、撮影は控えて・・・下菅谷。


上菅谷駅で交換なので、そのまま水戸方面へ。

20年前はキハ100だったけれど、現在は新型のキハE130系に置き換わっています。山口県の山陰本線は40年近く國鐵のキハ40や47がバリバリ現役。