友人の時刻表博士さんからの情報提供。旅行の計画を立てるときは、いつも友人が1日数本しかない超ローカル線でも待ち時間無しで乗りこなせるようなプランニング。私の役目は指定席を抑えておく「みどりの窓口」。
昭和39年の時刻表しかも復刻版なので、大変興味がある内容だった連絡があり、速攻でポチっ!それが本日届きました。24時間後に届くなんて、はやっ!!
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現品のカバー。
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カバーを外すと、1964(昭和39)年10月号の表紙デザイン。新品のままで経年経過のよる劣化無しだけど、今の時代から見ると昭和の古めかしいデザイン。発売当時は「夢の超特急」なので斬新なデザインだったに違いない。
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実家の長門二見駅も30年前の平成元年に無人駅化。それなのに、国鉄時代は8人も駅員さんが駐在し、始発は朝3時47分、門司行き。なんと始発は前日の9時38分に京都出発。最終列車は門司発米子行きの0時41分。汽車が来ない時間帯は1日でわずか3時間。深夜時間帯を走行する長距離列車なので、寝台車連結。昭和の50年ころになると、これらの列車は廃止。ところが、鮮魚を背負って都会へ売りに出せなくなると行商のおばちゃま達から国鉄に苦情。ブリキの箱を何箱か重ねて背負う様子から「カンカン部隊」と呼ばれていた。それで滝部始発3時台のディーゼルカーを組み込んだ。床は濡れるわ、車内は魚のにおいで充満。
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福知山行きの鈍行列車はとてもすごかったな・・・。小倉発特牛(こっとい)行きもあったんですかね・・・。当時はD51蒸気機関車がけん引する客車がほとんど。山陰本線が無煙化になったのは1974(昭和49)年。「気」のマークがついているのは、気動車すなわちディーゼルカーを意味します。
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東海道新幹線初デビュー当時の時刻表。「超特急」は1時間に1本。要所時間は4時間。(現在の「のぞみ」は2時間半っ!!)
今の東海道新幹線は博多行き、新大阪行きの「のぞみ」や停車駅パターンを変えての快速タイプの「ひかり」、各駅停車の「こだま」が目まぐるしく動いていますが、東海道新幹線デビュー当時の時刻表は毎時0分に超特急の「ひかり」、毎時30分は各駅停車の「こだま」という設定。
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昭和39年・・・今のような「禁煙」の「キ」すらない時代なので、今だと考えられない「オール喫煙車両」。
時刻表の巻頭路線図を見ても、「みどりの窓口」を示す、みどりのマーク無し。東海道新幹線がデビューしたのは1964(昭和39)年10月1日。当時、もちろん、指定席はありましたが、今のようなコンピュータで処理しているわけではなく、全国の各駅から「乗車券センター」に電話をかけて、中華料理店の回転テーブルみたいに回す台帳の中から目的の列車を見つけては、空席を手書きで書き込み。座席が確保できた旨を応答。このようにオフライン方式で発売していましたが、新幹線もできているし、特急や夜行列車の需要も増え、「乗車券センター」での処理能力はもう超えている。そこで国鉄さんが日立製作所さんに座席の予約をコンピュータで管理できるようにならないかと依頼したのがマルスの始まり。開業からわずか1年後の1965(昭和40)年9月24日、全国の需要駅にオンラインで結ぶ端末を設置。改良が進み、現在と同じようなサイズや様式、フォントが定着しはじめたのは1984(昭和59)年から。あれから35年経ちますが、熱転写から感熱に変更した点以外は全然変わらない。
他の線区(特に北海道や九州)も昭和39年当時の状況も確認できるし、貴重な資料。鉄道研究家向けだけど、情報を教えてくれた友人に感謝!
昭和39年の時刻表しかも復刻版なので、大変興味がある内容だった連絡があり、速攻でポチっ!それが本日届きました。24時間後に届くなんて、はやっ!!
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現品のカバー。
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カバーを外すと、1964(昭和39)年10月号の表紙デザイン。新品のままで経年経過のよる劣化無しだけど、今の時代から見ると昭和の古めかしいデザイン。発売当時は「夢の超特急」なので斬新なデザインだったに違いない。
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実家の長門二見駅も30年前の平成元年に無人駅化。それなのに、国鉄時代は8人も駅員さんが駐在し、始発は朝3時47分、門司行き。なんと始発は前日の9時38分に京都出発。最終列車は門司発米子行きの0時41分。汽車が来ない時間帯は1日でわずか3時間。深夜時間帯を走行する長距離列車なので、寝台車連結。昭和の50年ころになると、これらの列車は廃止。ところが、鮮魚を背負って都会へ売りに出せなくなると行商のおばちゃま達から国鉄に苦情。ブリキの箱を何箱か重ねて背負う様子から「カンカン部隊」と呼ばれていた。それで滝部始発3時台のディーゼルカーを組み込んだ。床は濡れるわ、車内は魚のにおいで充満。
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福知山行きの鈍行列車はとてもすごかったな・・・。小倉発特牛(こっとい)行きもあったんですかね・・・。当時はD51蒸気機関車がけん引する客車がほとんど。山陰本線が無煙化になったのは1974(昭和49)年。「気」のマークがついているのは、気動車すなわちディーゼルカーを意味します。
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東海道新幹線初デビュー当時の時刻表。「超特急」は1時間に1本。要所時間は4時間。(現在の「のぞみ」は2時間半っ!!)
今の東海道新幹線は博多行き、新大阪行きの「のぞみ」や停車駅パターンを変えての快速タイプの「ひかり」、各駅停車の「こだま」が目まぐるしく動いていますが、東海道新幹線デビュー当時の時刻表は毎時0分に超特急の「ひかり」、毎時30分は各駅停車の「こだま」という設定。
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昭和39年・・・今のような「禁煙」の「キ」すらない時代なので、今だと考えられない「オール喫煙車両」。
時刻表の巻頭路線図を見ても、「みどりの窓口」を示す、みどりのマーク無し。東海道新幹線がデビューしたのは1964(昭和39)年10月1日。当時、もちろん、指定席はありましたが、今のようなコンピュータで処理しているわけではなく、全国の各駅から「乗車券センター」に電話をかけて、中華料理店の回転テーブルみたいに回す台帳の中から目的の列車を見つけては、空席を手書きで書き込み。座席が確保できた旨を応答。このようにオフライン方式で発売していましたが、新幹線もできているし、特急や夜行列車の需要も増え、「乗車券センター」での処理能力はもう超えている。そこで国鉄さんが日立製作所さんに座席の予約をコンピュータで管理できるようにならないかと依頼したのがマルスの始まり。開業からわずか1年後の1965(昭和40)年9月24日、全国の需要駅にオンラインで結ぶ端末を設置。改良が進み、現在と同じようなサイズや様式、フォントが定着しはじめたのは1984(昭和59)年から。あれから35年経ちますが、熱転写から感熱に変更した点以外は全然変わらない。
他の線区(特に北海道や九州)も昭和39年当時の状況も確認できるし、貴重な資料。鉄道研究家向けだけど、情報を教えてくれた友人に感謝!