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駅前の観光案内交流施設

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 伊勢奥津駅の駅舎は新しく生まれ変わっていますが、その隣に伊勢奥津駅までの復旧工事が着手した翌年の2014(平成26)年、汽車でやってきた観光客を呼び寄せるため、津市が「観光案内交通施設」を建築。つまり、「市」の公共施設。

 この建物の中に「名松線を守る会」の写真が展示されているので、無料で見学可能。
 熱心に見てたら、スタッフの方が温かい淹れたての緑茶をテーブルの上に置き、「どうぞ」。とっさに、ありがとうございます。とおじぎ。
 私のことを伊勢奥津、という辺境なところに汽車で来た、変な人だと思われたかも知れませんが、そのような温かいおもてなしは嬉しいです。ありがとうございます!
 初めて青ヶ島に行ったのはちょうど20年前。現在みたいにインターネットのなかった時代。今だったら、青ヶ島が有名になりすぎて観光客はどっと押し寄せる時代だけど、20年前は観光客が来るってことは滅多にないらしい。何もない青ヶ島に観光で来るなんて、あんたらは変わってるのう・・・と温かいおもてなしを受けたこともありましたしね・・・。

 置いてあった雑誌。

 伊勢奥津はかつて、宿場として栄えていたとのこと。道理で駅前に古くて貫禄のある建物ばかり。
 「あのー、この雑誌今でも販売していますか?」
 「ごめんなさい、もう在庫切れなんです」

 今はJR東海の新しい車両(といっても20年前)のキハ11だけど、国鉄時代の雰囲気がとてもよかった。

 JR東海では硬券が全滅したはずなのに、復活なんですか!?硬券(こうけん)とは昔ながらのボール紙でできた厚みがあって硬い切符。昭和62(1987)年、JRに移行した直後は全国の至るところにありましたが、消滅したのは1992(平成4)年頃。硬券に代わるものとして、オフラインの乗車券印刷機のPOSを配備。ハードディスクに全国の路線や運賃を収録し、売り上げの管理もコンピュータがやってくれる。硬券だと、額面ごとに1日何枚売れたか、裏面の通し番号を見て確認し、赤鉛筆で印をつけて、この日の収益を手作業で計算。売り上げた金額と、枚数を一致しなければならず、かなり大変な作業だったに違いない。
 硬券に日付を入れる機器は「ダッチングマシン」。窓口で行き先を告げ、乗車券棚からさっと取り出し、ガチャ!とダッチングマシンにスライド。
 すっと差し出し、「190円です」お客さんがどんな金券を出すか、視線はお財布。伊藤博文の千円札だったら、そろばんでパチパチ。硬貨ケースから小銭をお返し。国鉄時代の窓口は硬券を収納する棚、ダッチングマシン、遠距離きっぷを売るための手書き用補充券、指定席券を発売する補充券、黒電話、そろばん、赤鉛筆、硬貨を入れるケース、駅名のゴム印ケース、紙幣を収納する引き出し。今はもうすっかり無人駅だけど、私が子供のころ何度も改札を潜った小さな駅は朝3時から夜の23時まで駅員さんが駐在。ところが今は合理化が進み、駅の無人化や「みどりの窓口」も縮小し、顧客が自ら操作して発券するマルスを兼ねた券売機なるものを増やそうという動きがある。 

 これから松阪に戻りまーす!
 途中の家城駅で、学校帰りの野球部員がたくさん乗ってきたため、撮影できず。後で知りましたが、三重県立白山(はくさん)高等学校。春や夏の県大会で初戦をなかなか突破できない弱小校だったのに、2018(平成30)年の夏、甲子園出場。部員が9人以下という状況が続いたのに、甲子園出場はかなり奇跡だと言える。

 松阪に戻りました~!

 駅舎は国鉄っぽい雰囲気ですね。

 今夜の宿は、この駅前ホテル。

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