白新線は新潟から新発田を結ぶ、27.3キロ。時刻表の巻頭路線図を確認すると、黒い線なので主要路線の「幹線」。青だったら、幹線から枝分かれする地方交通線。「白新」の、「新」は新潟を意味しているが、白新線内に「白」の付く駅名は1つもない。
調べてみたら、昭和2(1927)年、「新潟県白山ヨリ新発田ニ至ル鉄道」として越後線の白山駅を起点としていた先の当初計画に由来。
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新潟を出て、次の駅は東新潟。簡易スイカではなく、ちゃんとした自動改札機。
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大形駅。ここでも有人駅、自動改札機設置。
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次は、新崎(にいざき)駅。
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早通(はやどおり)駅。
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豊栄(とよさか)駅。縁起の良さそうな駅。北海道の宗谷本線、「豊富」駅も。最北端の稚内からおよそ40キロ南なので、サイハテの駅と言ってもよさそう。
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黒山駅。越後線に「白山」駅があるので、対とした、オセロ!?
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佐々木駅。全国13位の多い姓名だけど、忘れてはならないのは青ヶ島と深い関わりを持っています。
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天明5(1785)年、青ヶ島で起きた天明の大噴火。全島民がとなりの八丈島へ避難し、およそ50年は無人島だった。佐々木次郎太夫らが島民の先頭にたち、ふるさと青ヶ島へ還住を果たしたのは、天保6(1832)年。
佐々木次郎太夫様のおかげで、今の「青ヶ島村」があるのです。
インターネットのなかった時代、青ヶ島なんてちっぽけな島、どなたでも見向きもされなかった島。観光客が滅多に来ない島。中学校社会地図帳で「青ヶ島」の存在を知り、想像を絶するほどとんでもない秘境なのかなぁ??と思いめぐらし、初上陸は今からちょうど20年前。
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いや、これではなかった。もっと古いのは・・・
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平成11(1999)年7月16日っ!!佐々木駅を紹介するつもりが、なぜか還住を果たした佐々木次郎太夫さまに脱線。
調べてみたら、昭和2(1927)年、「新潟県白山ヨリ新発田ニ至ル鉄道」として越後線の白山駅を起点としていた先の当初計画に由来。
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新潟を出て、次の駅は東新潟。簡易スイカではなく、ちゃんとした自動改札機。
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大形駅。ここでも有人駅、自動改札機設置。
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次は、新崎(にいざき)駅。
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早通(はやどおり)駅。
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豊栄(とよさか)駅。縁起の良さそうな駅。北海道の宗谷本線、「豊富」駅も。最北端の稚内からおよそ40キロ南なので、サイハテの駅と言ってもよさそう。
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黒山駅。越後線に「白山」駅があるので、対とした、オセロ!?
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佐々木駅。全国13位の多い姓名だけど、忘れてはならないのは青ヶ島と深い関わりを持っています。
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天明5(1785)年、青ヶ島で起きた天明の大噴火。全島民がとなりの八丈島へ避難し、およそ50年は無人島だった。佐々木次郎太夫らが島民の先頭にたち、ふるさと青ヶ島へ還住を果たしたのは、天保6(1832)年。
佐々木次郎太夫様のおかげで、今の「青ヶ島村」があるのです。
インターネットのなかった時代、青ヶ島なんてちっぽけな島、どなたでも見向きもされなかった島。観光客が滅多に来ない島。中学校社会地図帳で「青ヶ島」の存在を知り、想像を絶するほどとんでもない秘境なのかなぁ??と思いめぐらし、初上陸は今からちょうど20年前。
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いや、これではなかった。もっと古いのは・・・
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平成11(1999)年7月16日っ!!佐々木駅を紹介するつもりが、なぜか還住を果たした佐々木次郎太夫さまに脱線。