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2019(平成31年)3月15日(金曜日)17時30分。その頃の神戸は日没時刻18時06分なので、夕陽が差し込んでいます。
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和田岬線の時刻表を見ていると、
【平日】
朝7時から9時までに7本。
9時から16時まで空白(1本も走っていない)
17時から21時台に10本。
【土曜日】
朝2本
夕方以降6本
【日曜日、祝日】
朝1本
夕1本
そのような極端な時刻表になっているのは、和田岬駅の利用者は鶴見線に工業地帯があると同じように三菱重工業株式会社神戸造船所の社員のためにあるようなもの。私の大好きなところへ連れてくれる、「たちばな丸」「あおがしま丸」「おがさわら丸」は、私の故郷、山口県下関市の三菱重工業下関造船所で製造。次期「のぞみ」の最新型車両、「N700S」も山口県下松市の日立製作所笠戸工場で製造。山口県で製造された乗り物が行きたいところへ連れてくれます!!日立のマルス(列車予約システム)は全国から10時打ちで殺到してもサーバーがフリーズしない。ずっと昔から頑丈なメーカーとして知られています。家電具も然り、長持ちできる。「おがさわら丸」の予約は繁忙期だと、必ずフリーズする。ネットも使えない、電話も使えない。お盆休暇を狙っているわけだけど、比較的空いている時期に予約しようと思っていた私にまで巻き添え。お盆期間中は全部×××××××ですな・・・。平成から令和に改元する10連休も、小笠原では人が殺到~!!10連休にオガサワラに行きたい!!と小笠原海運の窓口に発売前夜から並び、並んでいたのに予約が取れなかったトラブル発生~!!そのため、夏季における「おがさわら丸」発売初日のみ小笠原海運の窓口は閉鎖。ネットまたは電話のみで受け付けとなっていたけれど、ネットはサーバーダウン。電話もずーっと話し中。ネットが使えないとわかると、一斉にダイヤルするから回線がパンクか?
青ヶ島もキャンプ場ではマナーを遵守しない方もいらしたそうです。ルールを今までよりさらに厳しくするのは仕方がないことです。あまり混まない時期を選ぶとか、勤務先の休みの取り方も工夫して欲しい、と思っています。
三菱重工業(船)、日立製作所(新幹線)、おがさわら丸の予約、繁忙期におけるトラブル・・・かなり話が脱線。
和田岬線に話を戻します。
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2019(平成31)年3月の和田岬駅。友人いわく、「あれれ?ずっと昔に行ったときとすっかり変わっている!!」とのこと。私は初めて行く場所なので、すっかり変わったと言われてもイメージはつかめず。
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所属する路線は山陽本線であっても盲腸線の証、行き止まり。
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平日の17時台なので、サラリーマンたちが電車にめがけてゾロゾロ歩行中~!!
何が変わったかと言いますと、友人から送られてきた画像を見て納得・・・。
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2000(平成12)年当時。古めかしい木造の駅舎があって、改札ラッチも見える。
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和田岬線が電化されたのは2001(平成13)年から。ロングシートのディーゼル、キハ30がまだ走っていた頃。
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キクハ35 という形式名だけど、扉は片方しか使われていないからと改造されています。
さらに調べてみたら・・・1987(昭和62)年4月1日。日本国有鉄道が解体し、7つの旅客鉄道株式会社発足。JRになったとたん、性急に改革するのは厳しい。切符の地紋も「JNR」のままだし、駅名標も国鉄様式のままだし、駅員さんも国鉄の制服に6つのカラーに塗られた「JR」の徽章をつけただけ。6社ごとの特色が出始めたのは、民営化2年目の1989(平成元年)あたりから。民営化になって各社そろって新型電車が出そろうようになる。ところが、和田岬線だけ、1990(平成2)年まで旧型のボロ客車の前後にDE10ディーゼル機関車を連結し、プッシュプル方式で運転。客車の前後にDE10機関車がつながっている状態だと、朝夕のピストン輸送でも機関車を付け直す必要はなくかなり楽。
1990(平成2)年からキハ30の6両を和田岬線専用のキクハ35に改造し、運用開始。それも11年後の2001(平成13)年に引退し、電化。キクハ35は11年しか使われていなかった車両なんですが、今となっては貴重な写真。