今から1年前の平成30(2018)年5月4日。平成29(2017)年12月1日、2年後の平成31(2019)年4月30日をもって、譲位することが決定。去年の5月は、「来年の今頃は新元号の元年。どんな年号になるのか?」「来年のゴールテンウィークはどうなるのか?」と気になり始めたのは確か。10連休になると正式に発表されたのは、平成30(2018)年の11月。その頃から、心おきなく休めるからと予約殺到。特に小笠原は早いうちにもう満室になり、船の予約もなかなか取れなかったとか。だ・か・ら・・・・非常に混み合っている時期にどこも行かないと生まれ初めてダラダラ・・・と10連休。平成31年4月30日と令和元年5月1日の通信日付印を両方ゲットするため、24時間開いている中央郵便局の「ゆうゆう窓口」へ。しかし、郵便局の公式ホームページで「ゆうゆう窓口」では改元に伴う記念押印は行わないと告示されているのにつゆ知らず・・・。差し出す形で、なんとか平成最終日(31.4.30 18-24)および令和最初(1.5.1 0-8)をゲット。
上皇と美智子上皇后の肖像に 平成時代の天皇陛下を示す31.4.30 18-24の消印、今上天皇と雅子皇后の肖像に1.5.1 0-8が即位した瞬間の日付印が理想的ですが、目をつぶって今上天皇が皇太子時代の31.4.30 18-24の消印を丁寧に押印。「ちょい、待てー!!あと数分で令和でしょ!1.5.1 0-8に更埴した消印で!!」と心の中で思っても、規則は規則。無理でした。
昭和から平成に改元した瞬間の消印は 郵政省時代の「64.1.7 18-24」、「1.1.8 0-8」。その頃はなーにもない田舎に住んでいて、まだ子供のころ。小倉駅前の小倉郵便局(当時は大きな集配局で北九州中央郵便局ができる前)に行けば、当時は今のような、新時代はへーせい!!とか、祝賀ムードではなかったため、普通の40円の官製ハガキに記念押印してもらえたはずだけど、田舎から小倉までの足がないし、子どもが深夜出歩くわけではないので、無理だった。
大正から昭和に改元したのは、大正15(1926)年12月25日、同日中に昭和に改元。つまり、1926年12月25日は大正15年と昭和元年とも言える。当時の逓信庁(今の日本郵政(JP)のかなり前身)はどのような消印の扱いをしていたか、ネットではっきりとした資料が見つからないので、不明。
改元にまつわる消印の話に脱線・・・。本編に戻ります。
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旧駅名票の「もみじやま」は、この駅の住所は「北海道夕張市紅葉山550番地」なので、地名にちなんで、「紅葉山駅」開業。
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夕張炭田の運炭路線として1892(明治25)年、敷設された夕張までの途中駅だったのですが・・・・1981(昭和56)年に千歳空港まで連結する鉄路を締結。道東と道央を結ぶ主要路線として「幹線」の石勝線と命名するとともに、「紅葉山」が「新夕張」と改名した経歴を持つ。
「幹線」と名乗っているわりに、新夕張から新得間は普通列車が1本も走っておらず、すべて特急のみ。普通列車専用の青春18きっぷでさえ、この区間のみ、特例として特急乗車が認められています。
令和元年の10月1日から消費税が10%。JR北海道では、利用客の減少が続いているうえ最終的な赤字が過去最大の179億円に膨らむなど経営は厳しい。初乗り170円から200円に値上げすることを国に申請する方針で固まったそうです。いっそ、東京から仙台や盛岡、新潟など、需要の多い上越・東北新幹線のドル箱を抱えているJR東との経営を一緒にすることは出来ないのかね・・・。
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1981(昭和56)年。計算してみたら、38年前。あのころは人口がとても多く、駅の利用者も多かったので、このような規模の駅舎を作ったと思いますが、人口がかなり減り、マイカーの保有率も高くなっている。昭和時代は将来を見込んで設計したのに失敗。
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窓口が閉まっている代わりに券売機が稼働中。
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私たちはこの切符を用意しているので、無人の入鋏省略のまま改札に入り・・・
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誰もいない通路を通ります。
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夕張支線は3・4番から発着。
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追分からの直通列車でーす!
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時刻表はあまりにもスカスカではない。1日数本ある程度。
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ここは北海道。融雪剤の影響なのか、鉄のボディが錆びて剥がれた跡があちこち・・・。山口県の何もない田舎の山陰本線も同じキハ40だけど、剥がれるような現象は見られず。ただ、塗り直しをサボっていて、塗装が剥げていてみすぼらしい車両もある。
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なつかしい、国鉄のキハ40。
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車内の雰囲気もそう。国鉄時代は喫煙可なので、乗客たちが紫煙をくゆらせても誰も文句は言えなかった。昭和時代から平成初め頃のオフィス。執務机に職員がタバコをくわえながら仕事。ロビーでも灰皿が置かれてあって、あちこちタバコ、タバコ・・・・・。あの時代だから許せたけれど、今は令和。受動喫煙対策を強化する改正健康増進法が成立し、学校や病院、行政機関などの敷地内を全面禁煙化。外であっても、禁煙が原則になります。どこでタバコを吸えるか必死に模索するだけでも大変な時代になります。
上皇と美智子上皇后の肖像に 平成時代の天皇陛下を示す31.4.30 18-24の消印、今上天皇と雅子皇后の肖像に1.5.1 0-8が即位した瞬間の日付印が理想的ですが、目をつぶって今上天皇が皇太子時代の31.4.30 18-24の消印を丁寧に押印。「ちょい、待てー!!あと数分で令和でしょ!1.5.1 0-8に更埴した消印で!!」と心の中で思っても、規則は規則。無理でした。
昭和から平成に改元した瞬間の消印は 郵政省時代の「64.1.7 18-24」、「1.1.8 0-8」。その頃はなーにもない田舎に住んでいて、まだ子供のころ。小倉駅前の小倉郵便局(当時は大きな集配局で北九州中央郵便局ができる前)に行けば、当時は今のような、新時代はへーせい!!とか、祝賀ムードではなかったため、普通の40円の官製ハガキに記念押印してもらえたはずだけど、田舎から小倉までの足がないし、子どもが深夜出歩くわけではないので、無理だった。
大正から昭和に改元したのは、大正15(1926)年12月25日、同日中に昭和に改元。つまり、1926年12月25日は大正15年と昭和元年とも言える。当時の逓信庁(今の日本郵政(JP)のかなり前身)はどのような消印の扱いをしていたか、ネットではっきりとした資料が見つからないので、不明。
改元にまつわる消印の話に脱線・・・。本編に戻ります。
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旧駅名票の「もみじやま」は、この駅の住所は「北海道夕張市紅葉山550番地」なので、地名にちなんで、「紅葉山駅」開業。
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夕張炭田の運炭路線として1892(明治25)年、敷設された夕張までの途中駅だったのですが・・・・1981(昭和56)年に千歳空港まで連結する鉄路を締結。道東と道央を結ぶ主要路線として「幹線」の石勝線と命名するとともに、「紅葉山」が「新夕張」と改名した経歴を持つ。
「幹線」と名乗っているわりに、新夕張から新得間は普通列車が1本も走っておらず、すべて特急のみ。普通列車専用の青春18きっぷでさえ、この区間のみ、特例として特急乗車が認められています。
令和元年の10月1日から消費税が10%。JR北海道では、利用客の減少が続いているうえ最終的な赤字が過去最大の179億円に膨らむなど経営は厳しい。初乗り170円から200円に値上げすることを国に申請する方針で固まったそうです。いっそ、東京から仙台や盛岡、新潟など、需要の多い上越・東北新幹線のドル箱を抱えているJR東との経営を一緒にすることは出来ないのかね・・・。
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1981(昭和56)年。計算してみたら、38年前。あのころは人口がとても多く、駅の利用者も多かったので、このような規模の駅舎を作ったと思いますが、人口がかなり減り、マイカーの保有率も高くなっている。昭和時代は将来を見込んで設計したのに失敗。
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窓口が閉まっている代わりに券売機が稼働中。
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私たちはこの切符を用意しているので、無人の入鋏省略のまま改札に入り・・・
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誰もいない通路を通ります。
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夕張支線は3・4番から発着。
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追分からの直通列車でーす!
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時刻表はあまりにもスカスカではない。1日数本ある程度。
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ここは北海道。融雪剤の影響なのか、鉄のボディが錆びて剥がれた跡があちこち・・・。山口県の何もない田舎の山陰本線も同じキハ40だけど、剥がれるような現象は見られず。ただ、塗り直しをサボっていて、塗装が剥げていてみすぼらしい車両もある。
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なつかしい、国鉄のキハ40。
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車内の雰囲気もそう。国鉄時代は喫煙可なので、乗客たちが紫煙をくゆらせても誰も文句は言えなかった。昭和時代から平成初め頃のオフィス。執務机に職員がタバコをくわえながら仕事。ロビーでも灰皿が置かれてあって、あちこちタバコ、タバコ・・・・・。あの時代だから許せたけれど、今は令和。受動喫煙対策を強化する改正健康増進法が成立し、学校や病院、行政機関などの敷地内を全面禁煙化。外であっても、禁煙が原則になります。どこでタバコを吸えるか必死に模索するだけでも大変な時代になります。