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Channel: 東京アイランド
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待ち焦がれていたものが来た

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 それは・・・1995(平成7)年に起きた、世界を震撼させた大事件の首謀者のシケーシッコー!!当時、地下鉄千代田線ユーザー。

 当時の始業時刻は8時50分。柏を8時前に常磐線快速、北千住で千代田線に乗りかえれば十分間に合うけれど、殺風景な通勤ラッシュアワーに揉まれて・・・はとても苦手だった。何もない漁村出身なのでトーキョーに行きたい!!と憧れていたものが現実になったのはよかったけれど、長続きできなかった。なんとか座れて出勤!!と8時前ではなく、1時間前に早く出勤し、我孫子始発を狙えば座れる!!この定期券で我孫子に行くことはキセルに等しく、今だったら処罰されます。当時は、都心に向かうのではなく、逆方向の電車のドア前で並んで行列。我孫子に着いても、いったん、ドア閉めとして乗客はホームに追い出されるが、降りたホームで並んで待つ。折り返しの電車が始発としてドアが開くなり、座席争奪戦。地下鉄に直通するので、快速よりも遅い各駅停車だけど、座って通勤できる。我孫子で座るなり、爆睡。今だっだら、スマホのタイマーをセットして目的地に着く数分前に起こしてくれる。平成6年といえば、スマホはなかった。西日暮里で多くの人が入れ替える振動で目覚めるのが日課。たまには、気づかず寝過ごして霞ケ関まで行くことも。始業2、30分前に自席に着いていたため、行き過ぎてしまっても遅刻はせずちゃんと出勤。
 サリン事件が起きたのは、1995年3月20日(月)。我孫子始発のいつも乗っていた地下鉄。21日(火)は春分の日なので20日の月曜日に年休を入れて、山口に帰省。この日、年休を取らずに出勤していたら、もしかしたら、巻き添えになっていたかも知れない状況。だから・・・本日は〇名の死刑執行が行われましたと、ニュースがあるたびに「チマチマと死刑執行するのではなく、まずはあの首謀者を処刑すべきではないんですか!ともどかしい思いをしていたのは確か。そして・・・・本日。死刑執行の第一報が入ったとたん、「やっと死んでくれたか。よくぞ執行命令書に署名してくれた」。
 3月14日、死刑囚を札幌を除く全国の拘置所に搬送したというニュースを聞いたときは死刑執行のXデーは、6月29日(金曜日)。国会の会期は6月20日までなので、25日(月)、命令書にサインして、29日に13人全員執行かも?と予想はしていましたが、国会が延期になり、6月29日は日本代表の勝負がまだ決まっていない、ワールドカップで盛り上がっているさなか、死刑執行を命じるわけではないから、次のXデーは、7月27日(金)かも?と印をつけたほど。
 
 国会開会中の執行は異例ですが、自分の予想より1週間後でした!!いったい、あのアサハラは何者だったんでしょうかねぇ・・・??


 7月6日の処刑は  

 東京拘置所 3名  ←午前中だけでも3人立て続けは異例。
 大阪拘置所 2名
 廣島拘置所 1名
 福岡拘置所 1名  計 7名

 未執行
 東京拘置所  3名
 仙台拘置支所 1名
 名古屋拘置所 2名 計 6名 

 できれば、全員13名執行と考えていたが、東京拘置所だけで6名。死刑執行に携わる職員も、1日だけでも6人も・・・・となると精神的にも大きな負担になる。
 だから、2回に分けて・・・かも??
 だったら、仙台の1名と、名古屋の2名も一緒に1日10名処刑すべきですが・・・

 A級戦犯者の共犯者7名の同時執行は1948(昭和23年)12月23日。今上天皇陛下の誕生日。1日だけでも10名は前例にない。1日7名までと決断したかも知れない。
 

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