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この写真は青ヶ島のお友達から送られてきたものです。発信元は青ヶ島ではございません。内地の房総半島内陸部。
台風20号が近づいているのに、凪いでいて、虹までも見られる風景。
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体育館下で・・・忽然と現れた豪華客船。たぶん、豪華クルーズ船の「飛鳥Ⅱ」でしょう。
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船内にスイートルーム並みのお部屋も備え付け、レストランもあるし、船の中で温泉気分の大浴場あり。クルーズ船なので、たぶん、船内のアナウンスで「あちらに見える断崖絶壁のような島は、東京都に属しており、全島民の人口170名という日本一超ミニ自治体の青ヶ島村でございます。ちょうど黒潮の真ん中にありまして、気象条件により海が荒れる日が多く、八丈島と青ヶ島を結ぶ定期船のあおがしま丸の就航率は年間5、6割しかなく、日本で1番アクセス手段が非常に難しいところでございます。江戸時代の1785年、青ヶ島で大きな噴火が起き、島の真ん中に丸山が隆起、地形が変わるほど破局的な天災に見舞われました。当時、およそ300名の島民がいらしていましたが、大噴火により、およそ200名が亡くなられました。40年くらいは無人島が続いておりました。佐々木次郎太夫が還住を果たし、避難していた島民はこの島に定住できるようになったのは1824(文政7)年のことです。日本一の辺境の地にありながら、現在も島民たちがたくましく暮らしているのは佐々木次郎太夫の血が継がれているでしょう」。
青ヶ島を全く知らない方のために、短くまとめて説明するとしたら、この内容だけでも十分かな。(笑)
クルーズ船なので、乗っている方々も青ヶ島を眺めながら・・・・青ヶ島の皆さんもあまり見かけない船が来た!としばらく見物していたそうです。