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駅舎は2階建てでとても大きいのに・・・駅員さんは1人で仕切っているし、失礼ながら中はスカスカ。四日市市民でさえ、四日市駅といえば、1キロ離れた都会の近鉄四日市駅を指している。時刻表を見比べると、名古屋、津方面どちらも行ける近鉄のほうが都会的なダイヤが組み込まれており、本数も多い。
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通せんぼの扉が付かない、田舎でよく見かける簡易改札機になっていました。市を代表する駅なので、それに恥じないような設備を!!
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ここは清算所跡地?
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JRのホームは駅本屋からかなり離れていて、跨線橋を渡って亀山方面は1番。名古屋方面は2番。同じホームの先に3番があって、こちらは津方面の短絡路線、伊勢鉄道。
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厳密に言うと、四日市から河原田間はJR関西本線の線路を走行し、河原田で津方面へ分岐。ここはもともと、国鉄の伊勢線だった。JR東海が発足する5日前の1987(昭和62)年3月27日に第三セクターに転換。亀山で津方面へ方向転換をしなくてもいいように国鉄が設けた路線なので、そのままJR東海に継承すればよかったのに。
名古屋からの快速「みえ」号はJR東海の運転士、車掌さんがそのまま伊勢鉄道に直通。伊勢鉄道の運転士さんも、四日市から河原田までJR東海の関西本線を運転。
四日市から河原田経由で津までの運賃は710円。(内訳JR200円+伊勢鉄道510円、40分)
近鉄四日市から近鉄線で津までの運賃は490円。(急行30分)
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四日市駅構内では貨物列車がたくさん停車していました。ディーゼル機関車のDD51 1147を見っけ!!
国鉄時代にさかのぼり、山陰本線。なーにもない漁村から下関まで通学するのに、DD51が牽引する6両や8両も連なった50系客車で1時間。夏の間はもうすでに明るい時間帯だけど、冬の間はまだ夜が明けないうちに汽車に乗る。起床時間はかなり早かった。DD51に何度もお世話になったから・・・DD51が牽引する北海道方面の寝台車(カシオペア、北斗星、急行はまなす)がまだ現役だった頃に乗りに行ってよかったです。北海道新幹線開通後は完璧に撤退し、余剰となったDD51はミャンマー国鉄に譲渡。日本で活躍していた頃の原型を留めながらミャンマーで活躍してくれれば、それを懐かしむために乗りに行きたいけれど、もう今はミャンマー流に改造されているので、私が懐かしんでいるものとは全く別のモノになりました。残念。
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回送列車が来ました。JR東海のオリジナル。
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電車かと思ったら、なんとキハ25なので非電化区間でも走れるディーゼルカー。わが故郷の廣島支社の非電化区間(山陰・山口線・岩徳・芸備)はかなりボロい国鉄のキハ40や47がバリバリで現役活躍中。JRになってから30年経っても、ボロ国鉄とは骨とう品そのものだけど、きっと地元の方たちはもう乗り飽きたかも知れない。帯の色をJR西日本のブルーに塗り替えて廣島支社でも活躍して欲しいくらい。