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餘部駅を語る前におさらいを・・・

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 国鉄ディーゼルカーのキハ47 1(1977年製造なので、車両年齢39歳)が餘部駅に到着し、ワンマンカーなので面倒でも、運転席から席を立ち、ドア付近で乗車券(または運賃)徴収。本来なら、運転士さんは運転に専念し、乗車券回収や運賃徴収は車掌さんの業務。運転士さんは何々駅から何々駅までの運賃は何円とかは把握しきれていないので、乗客のモラルに委ねるしかないです。

 「あの・・・記念にもらってもいいですか?」
 鎧駅で乗るときに運転士さんは私たちの姿や顔を覚えているはずなので、たった1駅区間のみのキセルではないと信じてくれているはず。「はい、どうぞ!!」
 鎧駅は無人駅なので入鋏記録もなく、無傷な状態だけど・・・厳密に言えば、 9/5 179Dウテシ (シャチハタの判子)とか何かしら乗車した証明が欲しい。
 179Dとは列車番号 ウテシ(運転士の鉄道業界用語)。ちなみにレチは列車長すなわち車掌。

 餘部鉄橋を着工したのは明治42(1909)年。今のような重機がない時代で、完璧な手作業による工法で完成したのは3年後の明治45(1912)年。100年近く現役でしたが・・・老朽化に伴い、2010(平成22)年に今のようなコンクリート鉄橋に付け替え。明治の遺産をいつまでも残してほしいと地元住民の要望により、明治時代にできた鉄橋は解体せず、その傍らに新しくできたコンクリートの鉄橋。
 餘部駅ができたのは1959(昭和34)年。47年間も、餘部住民が鐵道を利用するのに鉄橋伝いで1.8キロ先の鎧駅まで歩いていた。ここに新しく駅を出来て欲しいと國鐡に要望を出し、ようやく餘部駅設置。姫新線にも「余部(よべ)」駅があるので、それを区別するため、旧字体を採用。余(新)=餘(旧)。全国のマルス端末でも旧字体を収録。ちゃんと「餘部」と印字されています。

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