<<2017年3月31日まで あと144日>>
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1955年。和暦に換算すると、昭和30年。61年前の読売新聞も、日本一の辺境の地とされている青ヶ島まで記者が押しかける度胸はすごかった。
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「昨年船は6回しか島をおとずれなかった。いつくるともわからぬ船をもとめて きょうも子供は浜に立つ。正面の島は八丈島 左は小島」
つまり、1954(昭和29)年に船が来たのは年間たったの6回だけっ!!!
今の青ヶ島村役場前通りに立つと、眼下に新しくできた体育館。奥に目をやると、八丈島の島影が見えます。61年前の写真でも、今でも変わらぬ。
青ヶ島にやってきて、八丈島が見えるのに、なんとかもどかしさを感じるときもある。今、見えている島は、八丈島。羽田行きのANA便が1日3便も飛んでいて、八丈島から羽田までわずか45分。し、し、しかし・・・八丈島から青ヶ島までの交通手段は1日2便ありますが・・・ヘリコプターは9人乗りなので、なかなか予約が取れない。船はあおがしま丸で3時間。天候次第で就航するかどうか、当日の朝にならないとわからない。
八丈島が見えているのに、東京までわずか45分。ここからだと、かなり難儀する。写真に写っている子供たちも今は70代になっていると思いますが・・・八丈島に対する思いは今も変わらないでしょう・・・。
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1955年。和暦に換算すると、昭和30年。61年前の読売新聞も、日本一の辺境の地とされている青ヶ島まで記者が押しかける度胸はすごかった。
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「昨年船は6回しか島をおとずれなかった。いつくるともわからぬ船をもとめて きょうも子供は浜に立つ。正面の島は八丈島 左は小島」
つまり、1954(昭和29)年に船が来たのは年間たったの6回だけっ!!!
今の青ヶ島村役場前通りに立つと、眼下に新しくできた体育館。奥に目をやると、八丈島の島影が見えます。61年前の写真でも、今でも変わらぬ。
青ヶ島にやってきて、八丈島が見えるのに、なんとかもどかしさを感じるときもある。今、見えている島は、八丈島。羽田行きのANA便が1日3便も飛んでいて、八丈島から羽田までわずか45分。し、し、しかし・・・八丈島から青ヶ島までの交通手段は1日2便ありますが・・・ヘリコプターは9人乗りなので、なかなか予約が取れない。船はあおがしま丸で3時間。天候次第で就航するかどうか、当日の朝にならないとわからない。
八丈島が見えているのに、東京までわずか45分。ここからだと、かなり難儀する。写真に写っている子供たちも今は70代になっていると思いますが・・・八丈島に対する思いは今も変わらないでしょう・・・。