10月29日(土曜日)。毎朝の日課は、自分の予想通りになっているか、あおがしま丸の就航状況をチェック。予想に反し、欠航!という結果にショックを受けながら天気図を確認。低気圧線の影響により、南からの風が多少強い。それだけで原因がわかれば納得。
今日はまだまだ暑いけれど、冬将軍到来の前に暖房器具をスタンバイ。扇風機をしまい込んだのはおよそ1ケ月前だというのに、暖房なんて早いかも知れませんが・・・私はとても寒がり。真冬のマイナス氷点下の世界になる北海道はとても苦手。でも、北海道民は外はマイナスでも、家の外には大きな灯油タンクが設置されていて、契約先の灯油販売会社が定期的に巡回し補充。冬季における暖房費の地域格差を埋めるため、勤め先によっては冬季の間だけ「燃料手当」「灯油手当」なる名目で支給される。
午後からは・・・渋谷区の国立オリンピック記念青少年総合センターで「ろう者学セミナー」に出席。今日はたまたま休みなので、補佐のリクエストで国王様に参加要請。両親と私は顔パスで入場。(チケット代は国王様が団体に納入してあると思います・・・)国王様はニッポンのろう者を代表し、米国研修中。
聞こえない人に対する偏見も強かった昔の日本。電車の中で手話をしても、まわりの人が物珍しさもあってジロジロと見ていた時代もあった。今の時代は手話をしている人は耳の聞こえない人だと理解が広まっているのか、ガン見する人はあまりいなくなっています。
全国のろう学校が、次々と聞こえる人に近づけるため発音訓練を採用し、本来ろう者の言語である手話を排除。子どもたちは手話を知っていても、教師は聞こえる人なので手話は知らない。手話で話しかけても先生は理解できないから、子どもたちに手話の使用を厳禁し、自分の声で言いなさい!!発音がおかしければ、直すとか、教科書中心の指導ではなく、授業の大半は発音訓練。そのため、まともな教育を受けないまま社会に出て、様々な壁や困難につぶかることも多い。国王様はその点に関し、ずっと昔から疑問を感じ、2008(平成20)年に教諭免許を持つ、ろう者の教師がメインになり手話と書記日本語で授業を行う学校法人「明晴学園」開園にこぎつけた。
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D PRO(デフ プロジェクト)は国王様が若かったときから中心メンバーになって活動を行っている団体。
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両親は明晴学園のヨングク先生の大ファン。ずっと昔から手話でリズム感を出せる「手話ポエム」がとっても得意なので、もう1度見たい気持ちもあるでしょう。ずっと昔、ヨングクさんと韓国旅行したときも「イッチョク ハングッサラム?」(こちらは韓国人?)と間違われるほど。当時、大ブレイクした冬のソナタに出ていた俳優に似ていますしね・・・。
明晴学園の卒業生も出ていました。初めて会ったときは2歳のとき。西暦は確か2000年だったかな。数年前は甲子園を目指す都立高校の筆談キャッチャーとして注目を浴びた方なんです。気が付けば・・・もう大学生。自分はオジさんになったという自覚はない(ウソつき)けど時の流れは本当にあっという間なんです。
・高校野球の次の夢!耳が聞こえなくてもできるとみんなに伝えたい
その記事の中にある、まだまだ若い子だというのに「聞こえない人は、〇〇ができない人」という見方を覆したいという考えはとっても素晴らしい。野球少年だというのに、言語学に興味を持っていて、ヨングク先生の手話ポエムに魅力を感じ、自分もヨングク先生のように演じたら・・・と思ったのがきっかけで舞台に。ろう者の若い世代に文武両道な模範であるべきだと思いますっ!
東京からの帰り、クルマを運転しながら夕食は何食べたい?と父に聞いたら「オムライス」。
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「これです!これ!!」
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「は?オムレツの基本中の基本。どの家庭でも作れるもの。私でも作れるってば!!そのとなりの、となりがいいに決まっているんじゃないの!!」(怒)
父のリクエストしたものと違うものが運ばれ、文句。吠え始めました・・・。
理由は耳にタコができるような話。話は戦前にさかのぼりますが・・・父の父(私から見れば祖父は貿易もするほど大富豪だった)が下關驛(戦前の漢字は下関を「下關」と表示)の高級レストランに連れてもらい、当時の最高峰の洋食、オムライスの味や香りがなかなか忘れられないと。今の時代、いろんなお店でオムライスを食べても、下關で食べたものとは全然違う!!!!と吠える。大黒柱だった、祖父が若いうちに亡くなってしまい、生命保険もない時代なので、急に貧乏暮らしに。
「あのね、ですね・・・子供の舌はとてもシャープ、香りも敏感。老人になった今は衰えているので、味覚音痴になっているのは仕方がないですよ」私がオムライスを作ってあげても、求めていた味と違うと文句言うしね・・・。はぁ・・・。
今日はまだまだ暑いけれど、冬将軍到来の前に暖房器具をスタンバイ。扇風機をしまい込んだのはおよそ1ケ月前だというのに、暖房なんて早いかも知れませんが・・・私はとても寒がり。真冬のマイナス氷点下の世界になる北海道はとても苦手。でも、北海道民は外はマイナスでも、家の外には大きな灯油タンクが設置されていて、契約先の灯油販売会社が定期的に巡回し補充。冬季における暖房費の地域格差を埋めるため、勤め先によっては冬季の間だけ「燃料手当」「灯油手当」なる名目で支給される。
午後からは・・・渋谷区の国立オリンピック記念青少年総合センターで「ろう者学セミナー」に出席。今日はたまたま休みなので、補佐のリクエストで国王様に参加要請。両親と私は顔パスで入場。(チケット代は国王様が団体に納入してあると思います・・・)国王様はニッポンのろう者を代表し、米国研修中。
聞こえない人に対する偏見も強かった昔の日本。電車の中で手話をしても、まわりの人が物珍しさもあってジロジロと見ていた時代もあった。今の時代は手話をしている人は耳の聞こえない人だと理解が広まっているのか、ガン見する人はあまりいなくなっています。
全国のろう学校が、次々と聞こえる人に近づけるため発音訓練を採用し、本来ろう者の言語である手話を排除。子どもたちは手話を知っていても、教師は聞こえる人なので手話は知らない。手話で話しかけても先生は理解できないから、子どもたちに手話の使用を厳禁し、自分の声で言いなさい!!発音がおかしければ、直すとか、教科書中心の指導ではなく、授業の大半は発音訓練。そのため、まともな教育を受けないまま社会に出て、様々な壁や困難につぶかることも多い。国王様はその点に関し、ずっと昔から疑問を感じ、2008(平成20)年に教諭免許を持つ、ろう者の教師がメインになり手話と書記日本語で授業を行う学校法人「明晴学園」開園にこぎつけた。
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D PRO(デフ プロジェクト)は国王様が若かったときから中心メンバーになって活動を行っている団体。
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両親は明晴学園のヨングク先生の大ファン。ずっと昔から手話でリズム感を出せる「手話ポエム」がとっても得意なので、もう1度見たい気持ちもあるでしょう。ずっと昔、ヨングクさんと韓国旅行したときも「イッチョク ハングッサラム?」(こちらは韓国人?)と間違われるほど。当時、大ブレイクした冬のソナタに出ていた俳優に似ていますしね・・・。
明晴学園の卒業生も出ていました。初めて会ったときは2歳のとき。西暦は確か2000年だったかな。数年前は甲子園を目指す都立高校の筆談キャッチャーとして注目を浴びた方なんです。気が付けば・・・もう大学生。自分はオジさんになったという自覚はない(ウソつき)けど時の流れは本当にあっという間なんです。
・高校野球の次の夢!耳が聞こえなくてもできるとみんなに伝えたい
その記事の中にある、まだまだ若い子だというのに「聞こえない人は、〇〇ができない人」という見方を覆したいという考えはとっても素晴らしい。野球少年だというのに、言語学に興味を持っていて、ヨングク先生の手話ポエムに魅力を感じ、自分もヨングク先生のように演じたら・・・と思ったのがきっかけで舞台に。ろう者の若い世代に文武両道な模範であるべきだと思いますっ!
東京からの帰り、クルマを運転しながら夕食は何食べたい?と父に聞いたら「オムライス」。
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「これです!これ!!」
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「は?オムレツの基本中の基本。どの家庭でも作れるもの。私でも作れるってば!!そのとなりの、となりがいいに決まっているんじゃないの!!」(怒)
父のリクエストしたものと違うものが運ばれ、文句。吠え始めました・・・。
理由は耳にタコができるような話。話は戦前にさかのぼりますが・・・父の父(私から見れば祖父は貿易もするほど大富豪だった)が下關驛(戦前の漢字は下関を「下關」と表示)の高級レストランに連れてもらい、当時の最高峰の洋食、オムライスの味や香りがなかなか忘れられないと。今の時代、いろんなお店でオムライスを食べても、下關で食べたものとは全然違う!!!!と吠える。大黒柱だった、祖父が若いうちに亡くなってしまい、生命保険もない時代なので、急に貧乏暮らしに。
「あのね、ですね・・・子供の舌はとてもシャープ、香りも敏感。老人になった今は衰えているので、味覚音痴になっているのは仕方がないですよ」私がオムライスを作ってあげても、求めていた味と違うと文句言うしね・・・。はぁ・・・。