<<2017年3月31日まであと157日>>
あと157日かぁ・・・。青ヶ島から70キロ地点なら八丈島。八丈島から御蔵島まで88キロなので、今の段階では、やっと御蔵島に上陸。青ヶ島は何度も行くリピーターの島だけど、御蔵島は1度きりの上陸。御蔵島もすごーくよかったですよ。
青ヶ島から八丈島までは70キロで残り70日。つまり、2017年1月21日で八丈島に上陸。3月31日で最終目的地の青ヶ島ゴール。犬猿の仲でもある上司とおさらばする日でもあります。4月1日に東京の竹芝桟橋を出航し、三宅島に達したところで齟齬(難しい言葉ですが、「そご」と言い、意味は物事がスムーズにかみ合わない)発生。夏季休暇や年次有給休暇の権利を拒否する事柄により訴訟。自分の職場を愛しすぎて365日休まず出勤。「おまえも俺を見習え」という感じでしょうか。今は、やっと御蔵島。青ヶ島まで目指すのにあと158キロ。
(厳密にいうと、竹芝から青ヶ島まで380キロ。1年間といえば365日。誤差は15日だけど・・・まあ、そんなに細かい数値は気にしないとして計上)
「新年あけましておめでとう~!!」と新しい年を迎える日は、31+28+31=90日。青ヶ島から90キロといえば、底土港から北へ20キロ地点。
今は御蔵島だから、青ヶ島までの距離は十分あると思っても、忙しすぎてあっという間に過ぎ去ってしまいます。1つ1つ、やり残しはないか、自分の任務はずべて完結しているかどうか処置しておき、「旅の恥はかき捨て」的なことは絶対にしないように肝に銘じています。
御蔵島-八丈島 88キロ。八丈島-青ヶ島 70キロ。八丈島に上陸した時点から、本格的な準備に入るべきだとタイムスケジュールに記入。
しかし・・・小笠原だと1000キロあるので、最終目標を果たすまで3年かってしまいます。
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やっとたどり着きました。南崎と小富士への分岐点。小富士まで400m、南崎まで200m。今回は小富士から眺める絶景を目指しているので、小富士方面へ。
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最後の最後。1番きつい勾配。はしごで登ります。灼熱の太陽。はしごは鉄なので、かなり高温。アチッ!アチ!!!と駆け足ではしごを登る。
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都道最南端の地から徒歩4,50分でご覧のような絶景を独り占め。ここに来た甲斐もあります。
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小富士の山頂まで左側の絶景。
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戦前、配備されていたのであろうトーチカ跡。あのー・・・当時の大日本帝国。勝ち目のない戦争だというのに、こんなの配備しても無駄だってば!!空の敵機に向かって発砲しても、敵機からの空爆はすさまじいもの。大日本帝国時代、ニッポンは勝利すると国民精神総動員として鬼畜米兵とか称してけなす行為をしていましたが、「アメリカ軍の戦力は日本より上回るので、戦っても無駄だ」と考えるような賢明な国民は「非国民」とたたかれた時代もありました。戦犯の張本人は東条英機。1948(昭和23)年12月23日、今の池袋サンシャイン60(旧巣鴨拘置所)で絞首刑執行。当時、皇太子だった誕生日(12月23日)に死刑執行を目論んだアメリカ軍は昭和天皇が崩御すると、皇太子が次の時代の天皇陛下になる。12月23日は大日本帝国のA級戦犯者が処刑された日だと、若い世代に引き継がれるように設定したかも知れない。
大日本帝国の「帝」は皇居のある東京を通称として使われていました。今はなき「帝都高速度交通営団」。東京メトロの前身。今は房総の田舎暮らしなので、地下鉄とは無縁な生活になりましたが・・・子供のころ青ヶ島のようで何もない小さな漁村暮らし。どうしてもトーキョーに憧れ、何もない田舎にはない地下鉄が珍しくてしょうがなく、1日乗車券を購入し、目指せ!営団全線乗車!!と1日で全線乗車。子どもながらにして、都営は東京都の公営団体、営団は都営とは別の会社だと認識していましたが・・・営団は日本國における特殊法人の組織であることは全くわかりませんでした。今は東京メトロ、国とは全く切り離した民営企業になっています。東京メトロといえば、営団の「S」マークを思い出すのは3、40代なのかも知れない。実は言いますと、ずっと昔、営団線での通勤サラリーマンでした。地下鉄に憧れていたのに、いざ、その土地に暮らしてみると長続きできずお手上げ。何もない田舎暮らしが自分に合っているかも知れない。
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やっと着きました!!南崎小富士の風景。スマホを取り出して、電波状況を確認。LTE アンテナはバリバリ3本!!南崎の都道最南端からやっとの思いで訪ねた場所。携帯電話でも通じるのか!?と試しにLINEで友人にメッセージ送信。すかさず、添付の写真も見たことを示す送信先の「既読」。こんな辺境な場所だというのにインターネットがつながるとは思わなかった。さすがにニッポンの通信技術。
あと157日かぁ・・・。青ヶ島から70キロ地点なら八丈島。八丈島から御蔵島まで88キロなので、今の段階では、やっと御蔵島に上陸。青ヶ島は何度も行くリピーターの島だけど、御蔵島は1度きりの上陸。御蔵島もすごーくよかったですよ。
青ヶ島から八丈島までは70キロで残り70日。つまり、2017年1月21日で八丈島に上陸。3月31日で最終目的地の青ヶ島ゴール。犬猿の仲でもある上司とおさらばする日でもあります。4月1日に東京の竹芝桟橋を出航し、三宅島に達したところで齟齬(難しい言葉ですが、「そご」と言い、意味は物事がスムーズにかみ合わない)発生。夏季休暇や年次有給休暇の権利を拒否する事柄により訴訟。自分の職場を愛しすぎて365日休まず出勤。「おまえも俺を見習え」という感じでしょうか。今は、やっと御蔵島。青ヶ島まで目指すのにあと158キロ。
(厳密にいうと、竹芝から青ヶ島まで380キロ。1年間といえば365日。誤差は15日だけど・・・まあ、そんなに細かい数値は気にしないとして計上)
「新年あけましておめでとう~!!」と新しい年を迎える日は、31+28+31=90日。青ヶ島から90キロといえば、底土港から北へ20キロ地点。
今は御蔵島だから、青ヶ島までの距離は十分あると思っても、忙しすぎてあっという間に過ぎ去ってしまいます。1つ1つ、やり残しはないか、自分の任務はずべて完結しているかどうか処置しておき、「旅の恥はかき捨て」的なことは絶対にしないように肝に銘じています。
御蔵島-八丈島 88キロ。八丈島-青ヶ島 70キロ。八丈島に上陸した時点から、本格的な準備に入るべきだとタイムスケジュールに記入。
しかし・・・小笠原だと1000キロあるので、最終目標を果たすまで3年かってしまいます。
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やっとたどり着きました。南崎と小富士への分岐点。小富士まで400m、南崎まで200m。今回は小富士から眺める絶景を目指しているので、小富士方面へ。
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最後の最後。1番きつい勾配。はしごで登ります。灼熱の太陽。はしごは鉄なので、かなり高温。アチッ!アチ!!!と駆け足ではしごを登る。
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都道最南端の地から徒歩4,50分でご覧のような絶景を独り占め。ここに来た甲斐もあります。
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小富士の山頂まで左側の絶景。
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戦前、配備されていたのであろうトーチカ跡。あのー・・・当時の大日本帝国。勝ち目のない戦争だというのに、こんなの配備しても無駄だってば!!空の敵機に向かって発砲しても、敵機からの空爆はすさまじいもの。大日本帝国時代、ニッポンは勝利すると国民精神総動員として鬼畜米兵とか称してけなす行為をしていましたが、「アメリカ軍の戦力は日本より上回るので、戦っても無駄だ」と考えるような賢明な国民は「非国民」とたたかれた時代もありました。戦犯の張本人は東条英機。1948(昭和23)年12月23日、今の池袋サンシャイン60(旧巣鴨拘置所)で絞首刑執行。当時、皇太子だった誕生日(12月23日)に死刑執行を目論んだアメリカ軍は昭和天皇が崩御すると、皇太子が次の時代の天皇陛下になる。12月23日は大日本帝国のA級戦犯者が処刑された日だと、若い世代に引き継がれるように設定したかも知れない。
大日本帝国の「帝」は皇居のある東京を通称として使われていました。今はなき「帝都高速度交通営団」。東京メトロの前身。今は房総の田舎暮らしなので、地下鉄とは無縁な生活になりましたが・・・子供のころ青ヶ島のようで何もない小さな漁村暮らし。どうしてもトーキョーに憧れ、何もない田舎にはない地下鉄が珍しくてしょうがなく、1日乗車券を購入し、目指せ!営団全線乗車!!と1日で全線乗車。子どもながらにして、都営は東京都の公営団体、営団は都営とは別の会社だと認識していましたが・・・営団は日本國における特殊法人の組織であることは全くわかりませんでした。今は東京メトロ、国とは全く切り離した民営企業になっています。東京メトロといえば、営団の「S」マークを思い出すのは3、40代なのかも知れない。実は言いますと、ずっと昔、営団線での通勤サラリーマンでした。地下鉄に憧れていたのに、いざ、その土地に暮らしてみると長続きできずお手上げ。何もない田舎暮らしが自分に合っているかも知れない。
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やっと着きました!!南崎小富士の風景。スマホを取り出して、電波状況を確認。LTE アンテナはバリバリ3本!!南崎の都道最南端からやっとの思いで訪ねた場所。携帯電話でも通じるのか!?と試しにLINEで友人にメッセージ送信。すかさず、添付の写真も見たことを示す送信先の「既読」。こんな辺境な場所だというのにインターネットがつながるとは思わなかった。さすがにニッポンの通信技術。