始発の岡谷を出たのは12時29分。辰野でJR東海に引き継ぎ、飯田駅には14時41分到着。わずか75.9キロ、駅の数はなんと35もあります。計算してみたら、となりの駅まで平均2キロ。都会並みの配置になっています。
この電車はもともと高崎線で活躍し、新しいE233系がデビューすると古い211系は房総半島に転勤。その頃、京浜東北線のお下がり209系が入ってきたため、長野地区の古い113系を置き換える目的で長野に転勤してからもう落ち着いています。
JR東日本の車両が飯田まで来ている理由はJR東海の車両が名古屋から松本行きの特急は塩尻からJR東日本に乗り入れ。辰野から上諏訪までJR東日本の路線に東海の313系が直通しているので、JR東日本の車両が東海に乗り入れ、両社における車両の貸し借りを帳消しにするため。
当初、東海道新幹線で豊橋、小和田駅に降りて、飯田で一泊するプランを考えたものの、ちょっと接続が悪い。新宿、岡谷回りのほうがスムーズなので、秘境駅のステーションホテルに変更。
自動改札機の無い駅、久しぶりに見かけました。右側の通路は閉鎖、きっぷは駅員さんがいる左の通路へ。自動改札機のない駅なら、駅員さんが改札口の真ん中で全体を見渡すように立つべきなんですけど・・・。
3分後の14時44分発車。4人の機動改札隊のうち、2人は飯田駅で任務終了。飯田を過ぎると利用客はそれほど多くないからでしょう。
次は切石駅。青空改札ではなく、左側に雨をしのげる屋根付き。広さは2名程度。
反対側は待合室あり。
次は鼎(かなえ)駅です。誰もいない状態で撮るつもりだったのに、右下に機動改札隊が猛ダッシュで先回り。漢字の下に読み方はないと、なかなか読めない難読駅です。
ちゃっかり回収。みんな真面目にきっぷを購入していたので、お咎めなし。定刻通り発車。
「かなえ」は願いが叶えるとして、縁起のよい駅として有名です。以前までは「みどりの窓口」があってマルス端末も配備していましたが、現在は無人駅。
今からおよそ30年前の1992(平成4)年7月29日に鼎駅に出かけた、というわけではなく、当時、何もない山口県の田舎に住んでいた頃、なぜか飯田線に縁起のよい鼎駅の存在を知っていた。インターネットのない時代なのに、どこから情報を仕入れたのか。全国に自由自在に旅行が出来ないので、時刻表で見つけたかも知れません。入場券の代金と、自分宛の返信用封筒を封入し、郵便依頼。
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やっと飯田駅
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