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Channel: 東京アイランド
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天下の分け目、関ヶ原付近は雪でした

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 京都を出ると、次は名古屋。京都付近まではよく晴れていたのに、滋賀県内を走行中に雲行きが怪しくなり、まるで雪国のような風景。東海道新幹線が出来てから56年目。車体や床下に付着した雪が瞬時に硬く凍り、塊となってしまう。振動で落下した衝撃で線路のバラスト(石)を巻き上げ、床下の機器を壊すなどの雪害を何度も経験しているので、この区間のみスプリンクラーで散水。通常通りの285キロでは出せず、若干速度を落としながら走行。定刻より若干遅れての名古屋駅到着。その後、遅れを取り戻そうと若干の速度を上げるので、東京には定刻通り到着。
 関ヶ原が東と西の天下の分け目と言われていますが、うどんの「つゆ」もほとんど関ヶ原で東と西に分断。
 在来線の東海道本線も関ヶ原でJR東海およびJR西日本の境界を引くのは中途半端になるので、両社の境界は米原。今だったら、新幹線をよく利用しますが、平成の1ケタ時代は時間もたくさん余って、新幹線の特急料金をケチって山口県の何もない田舎から上京するのに全区間普通電車。経由欄はシンプルに「山陰・山陽・東海道」。山口県の何もない田舎の実家を朝8時に出発して、第1ランナーは下関。第2ランナーは下関から岩国。第3ランナーは岩国から岡山。第4ランナーは岡山から姫路。第5ランナーは姫路から米原まで新快速。第6ランナーは米原から大垣。第7ランナーは大垣から東京まで(夜行の372M)。東京駅には朝4時42分到着。21時間もずーっとぶっ通し。そのほうが楽しくて疲れなかったような。
 東京からの帰りはやはり大垣行きの夜行電車。23時42分に出発して、0時を過ぎて最初に停車する横浜までの切符(当時450円)と0時を過ぎて有効となる青春18きっぷ1日分(当時2300円)で24時間の旅。山口県の何もない田舎の実家には22時到着。3000円で東京から山口へ帰れた!!とか。
 今はもうすっかりジジィになっているので、新幹線を使わず青春18きっぷで遠くまで乗り続けることはもう疎遠になってしまいました。


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