ここは二見トンネル出口の「新二見」交差点。旧道は狭い上にカーブも多い。衝突する事故も年に数回あったため、県道の改良工事が始まったのは1998(平成10)年。5年の歳月をかけ、2003(平成15)年におよそ500メートルのトンネルを開通。駅前通りエリアの自宅から海へ出られるショートカット路線。ジローさんもわざわざ遠回りせず、すぐ海に出られる喜びは開通した翌年の夏だけの1シーズンのみ。その年の冬、千葉へ転居。漁業権を持つ組合員なので、毎年7月20日頃から8月のお盆頃まで解禁時はサザエやアワビ、ウニを取り放題。千葉へ転居する前に組合員を離脱したので、久しぶりに帰っても海鮮物を取ることはできません。
何もない田舎はイヤだー!!と飛び出してからもうかなり経ちます。あれ!?もうこんな歳に・・・。なかなか故郷のことは捨てられず、今も時々帰ってくるところ。今回は素通りしてしまうけど、およそ1ケ月後また帰ります!!
海の色が小笠原のようできれい。
もともとは三菱石油。物心ついた頃、三菱って家電具の製品もあるし、鉛筆もマークがあるし、DD51機関車の銘板やクルマも。ジローさんはこの三菱石油にちょろまかされた思い出が永遠に忘れられず、今でも語ってくれる。「聞こえる姉(伯母)に電話で灯油の配達を頼んだんですよね。ドラム缶に満タンになるまで入れてもらい、納品書に示された金額とおり払ったんですよ。満タンなら蓋をあけたら、蓋の真下にすぐ灯油が見えるはずなのに、それが見えなかった。おかしいと思い、よく覗いて見たら半分しか入っていなかった。さてはちょろまかされたなー!!と電話で苦情を言ったら、店の責任者がかけつけて満タンにしてくれたんですけど、ドラム缶は見えないし、聞こえない人からの依頼だとかなりバカにしている。その配達員はすぐ解雇されたって聞いたのさ」(今ではなく、昭和時代の話。会社に提出するのはわずか数リットル分記載の納品書。ジローさんに手渡した納品書は満タンの金額なので、手書の昭和時代だからこそできたインチキ。今の時代はコンピュータのPOS(販売時点情報管理)で給油量、金額がレシートになって出るのでごまかせない)
三菱石油時代、日本テレビの進ぬ!電波少年というバラエティー番組に「箱男」シリーズがあり、今のシーフレンズふたみが建っている場所に「箱男」が置かれたときがありました。二見の人達が食事を持っていってお世話するシーンも放映。箱そのものをスナックバーの店内に置くシーンもありましたが、二見に洒落たスナックバーは無いです。ああ、これは「やらせ」だなって思いました。
左側はENEOSのガソリンスタンド。オレンジ色の屋根はシーフレンズふたみの厨房。そのとなりにある建物はレストラン。ちょうどあの位置は2000年にさかのぼれば「箱男」が置かれた場所。
リーズナブルで新鮮なお刺身や海鮮物が食べられるお店は遠くから来ていただくほどの大人気なお店です。その1ケ月後・・・
あそこに舞い戻った話は こちら。
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故郷なのに通過(もう少しで長門二見)
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