Quantcast
Channel: 東京アイランド
Viewing all articles
Browse latest Browse all 6813

小串駅

$
0
0

 川棚温泉を出ると、次は小串。山陰本線は幡生から京都まで673.8キロ。東北新幹線が青森まで延伸されたのに伴い、盛岡以北の在来線が第三セクターに転換されたあとは山陰本線が日本一長い路線となりました。昔の国鉄時代は長距離鈍行の客車や夜行急行列車や長距離特急などで門司を朝一の列車に乗れば23時頃には福知山。1度乗ってしまえば、1日中乗り通すことはできました。先頭はDD51ディーゼル機関車、自動扉ではない古くてボロ客車(オハ33やスハ42、ナハ10)なので1日乗り通すだけで腰が痛くなりそうです。今では考えられない、全車両喫煙車両。満員に近い4人掛けボックスでタバコを吸っても誰もお咎めはなかった。1964(昭和39)年の東海道新幹線開業当時の0系も16両全部喫煙可。昭和の人間は他人の煙を吸わされても平気だったのか。嫌煙権についてのクレームがあり、1977(昭和52)年に16両のうちたったの1両だけ、タバコの煙が嫌いな人は奥へ追い出せ!と言わんばかりに1番端っこの16号車のみ禁煙車を設け、徐々に禁煙車両を増やし、今はもう立場は逆転。座席では吸えなくなっている全車両禁煙が当たり前になっている。
 下関から長門市までは開業当時から国鉄が敷設したわけではなく、もともと民営の長州鉄道。小串までは1914(大正3年)開業した影響なのか、今も下関から小串までの本数が比較的多く、小串を過ぎるとぐーんと少なくなります。長州鉄道が長門市まで敷設を目指していたのですが、1928(昭和3)年に国鉄が長州鉄道を買収。つまり、小串から先は国鉄敷設。

 小串に近づくと、ご覧のような立派な建物が見えます。私の記憶では「国立山口病院」。幼い頃、頭皮がぱかっと真っ二つに割るアクシデントを起こし、1度だけ救急車で運ばれお世話になったところです。古い建物をそのままリニューアルしたのかなと思い、ホームページで調べてみたら、建物の老朽化に伴い、全面建て替えとのこと。
 2000(平成12)年、国の病院から豊浦町立病院に引き継ぎ、2005(平成17)年の平成の大合併により豊浦町が下関市に変わり、下関市立病院に名称変更。2016(平成28)年、市から譲渡され、現在は「山口県済生会豊浦病院」。なーにもない田舎であっても、このようにいろんな設備を整えている病院が近くにあると安心です。

 観光列車なので駅本屋側の1番線ではなく、3番線に入線。

 キハ47 101番。この番号は子どもの頃乗ったことがあり、ン何十年ぶりの再会。新製時に国鉄の小郡運転所に配属されてから他のところへ1度も転属していない車両。今回ペアを組んだキハ47 1065も同じく配属されてからずーっと山口育ち。
 道理で他の地域でキハ47を見かけると、ものすごく懐かしくなります。キハ47の側面にかけられた「新津 ←→ 馬下」のサボ、国鉄のキハ47に乗りたさで新津を新潟だと見間違え、危うく誤乗 の記事は こちら

 ここで折り返す列車が多いせいか、駅名票も新調。京都あたりの山陰本線はラインカラーが採用されており、紫色となっていますが、ここはJR西日本の標準カラー。

 真ん中に見える〒マークは「豊浦郵便局」。かつては集配を行う局と、無集配局があり、こちらは郵便番号が759-63地域の集配局なので、土日祝日でも郵便窓口は開いていたような記憶があります。しかし、現在は下関郵便局に属する各地の集配所に変わっているため、今は時間外窓口の取り扱いは無くなっています。

 湯玉までは線路が海岸を沿うように走行。

 9月の終わり、とはいえ、まだまだ夏の風景。本当に懐かしい。 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 6813

Trending Articles